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人として

【人として】
(このエッセーでは差別的な用語も使用します。ご不快になられる方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ございません。)

先日、人権教育を学ぶ研修に行ってまいりました。
江戸時代に当時の言葉として使われていた「穢多、非人」と呼ばれた人がいる歴史について学んだり、いわゆる「部落」と言われる場所を見て回ったりしました。
この研修を通して感じたことを書かせていただきます。

①恥ずかしながら私は上のような言葉は知っていながらも、理解はしていなかったなと痛感しました。
⇨社会の授業で「言葉」は教わってても中身を理解しないでいることって、他にもたくさんあるんだろうなと思いました。

②部落の方々が日本の伝統的な工芸や芸能を作り、治安を守ってくださっていたこと。
⇨これは知らなかったです!!!むしろ誇りじゃん!!と思いました。

③今でも苦しめられている人がいること。
⇨結婚相手の出生等を調べて反対するようなことが、現代でもあるのだと驚きました。ロミジュリの世界だと思っていました。見えないところで苦しんでいる人がいることを知りました。

④「部落」があったことについて、身分制度があったことについて、隠すのが正義か?啓発するのが正義か?
⇨これについては難しい問題だと思いました。ご先祖の身分について、知られたくない人もいると思います。わざわざ取り上げるからこそ、差別に苦しむ人がいるんだという声もあります。 しかし、「なかったこと」にして良いのでしょうか?歴史を正しく伝えていかねば、誤った情報や心無いデマに流されてしまうこともあると思います。より酷い差別に繋がる恐れもあります。どちらが正解とも言えないですね…

⑤④を踏まえて私に何ができるのか?
⇨このテーマを取り上げて授業として生徒に伝えるには、私には知識も実力も不十分です。なので、まだやらないほうが吉だと判断しました。変な方向に繋がる興味関心だけ与えることになってしまう危険があると思ったからです。
今の私に出来ることは「人としてカッコよく生きろ」と伝え続けることだと思いました。
普段の関わりや声かけ、私が何を許して何を叱るのか。そういった彼らにとって身近なところから、「人として」大切なことを伝えていきたいと思います。
「部落」の話や「穢多、非人」の話を、将来彼らが耳にした時に、心無い言動をしないように。
(そして私がもっと知識や伝える力つけたら、直接的に教えられるようになるかもしれない。あえて取り上げないかもしれない。将来の自分がどちらを正解とするかは分かりません。)

長くなってしまいました。最後まで読んでいただいてありがとうございました。