『覇王の譜』

橋本長道先生は、『サラの柔らかな香車』が鮮烈で、寡作ながら、好きな作家といえば必ず名前が浮かぶ方なのだけど、『覇王の譜』は、そういう文脈抜きに素晴らしい、本格的な作品。

本書も、元奨という履歴抜きに語られることはないだろうし、それは存分に活かされてもいる。しかしながら、海老沢泰久『美味礼讃』にみられるように、プロの作家は、勉強と取材によって、息遣いのレベルにまで肉薄していくものだ。前提条件が有利なぐらいで、作品が成功するようなことはない。

それでも、たとえばディック・フランシスの競走馬に対する眼差しなど、ある種の直接性を感じさせるもので、それは取材や研究とはそもそも別の領域にある。

他に思い浮かんだのは、内田幹樹『パイロット・イン・コマンド』。これは冒頭から、離陸後のコックピットの広い視界が圧巻。ただお仕着せで見せてもらえた映像ではなくて、どこまでもフツウに描かれた in commandの直接性、痛いほど過敏な双方向性に圧倒されるのだ。

『覇王の譜』も、おそらくは著者の自覚さえも超えて、そういう直接性に満ちた作品だと思う。経験者だからとか、プロの作家だからという領域とは全く別の世界が存分に拓けている。

読み始めたときには、ロバート B.パーカーの『初秋』を思わせるものがあったけれど、そんなふうに単純に括ることはできなかった。それでも、寡作だった著者の収穫の季節を堂々と実感させる、忘れがたい名作。

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