塩梅

 塩梅と書いて「あんばい」と読む。近頃あまり耳にしなくなった言葉だが、方言ではない。辞書を引くと、①味かげん、②体や天気のぐあい、とある。ちなみに「かげん」は加減と書き、プラスとマイナスのことだ。塩と梅酢で料理の味を調えることから来ているらしい。

 ほとんど料理はしないので偉そうなことは言えないが、何かを作る時に計量カップなどを用いたことはない。いつも目分量だった。これは面倒臭いからなだけで、計量カップに意味がないと言っているのではない。ただ、料理の本の通りに作れば、誰もがおいしい料理を作れるかというとそうではないだろう。それは上手下手というよりも、素材や温度・湿度、火加減(また「加減」)など他の要素が、味に微妙に関係しているからなのではないか。つまり、長年の経験に基づくカンが最後にものをいうのである。だから、料理のコツは教えられるのではなく、盗むものだと言われるのだろう。それくらい「塩梅」は大切で難しいものなのだ。

 このことは何も料理に限ったことではなく、様々な仕事や人間関係にも言えることだと思う。そして、生き方にも「塩梅」が必要なのである。これは、目分量で塩コショウをふるように適当に生きればよいという意味ではない。例えば、その人の業績も性格も知らないのに、会った途端にその広さと深さに圧倒されてしまい、自分の小ささをいやがうえにも思い知らされるということがある。その人こそ、人生の「塩梅」を自然に身につけている人なのではないだろうか。

 そのためにはどうすればよいのか。生き方に料理のようなレシピはない。誰も教えてはくれない。自分でつかみとるしかないのだ。ただ、やり方はある。それは頭で考えるのではなく、心で感じとること。人生は方程式を解くようにはいかない。だから、いろいろな条件をインプットして損得を考えて答をはじき出すのではなく、心に耳を傾けなければならない。なぜならば、心は嘘をつけないからだ。人をだまし、いくら自分に言い訳しても、心まではだませない。ふと立ち止まって、じっと心の声に耳を傾けてみよう。そうすれば、自然に人生の「塩梅」が身につくのではないだろうか。

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