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栗の一枚

むかしむかーし、その昔・・・。

なんだか壮大な出だしで始まったが、なんのことはない。これは私がまだ幼稚園児だった頃のお話。

3歳の時。
園の行事で、お遊戯会というものがあって、クラスで「さるかに合戦」の劇をすることになった。なったと言っているが、決まった経緯はほとんど覚えていない。覚えているのは、その役決めで数人いた「蟹の子供」の一人になったということだ。

さるかに合戦・・・。
ずる賢い猿が、親蟹が持っていたおにぎり欲しさに、柿の種と交換しようと提案する。親蟹は猿の言葉に乗せられて、おにぎりと柿の種を交換して、その柿の種を植える。
やがて、その柿が芽を出して、ぐんぐん大きくなり、柿の実が実った頃、猿がやってきて木に登り、柿を取ってやろうといって、まだ青い柿を親蟹に投げつける。自分は熟した美味しい柿を食べといて・・・ずるい奴だ。
親蟹はその投げつけられた柿で死んでしまうが、子蟹たちは親蟹の敵を討つために立ち上がる。栗と石臼と蜂とタッグを組んで、ずる賢い猿を家に呼び出して、猿をとことんやっつけて、見事に親蟹の敵を討ったのだ。
・・・というお話。

そう、この話に出てくる、子蟹の1匹を演じることになったのである。演じるといっても、3歳児の子蟹たちは、先生にセリフを教えてもらい、覚えたら、出番のタイミングを練習。そして、それと同時進行で頭の上にかぶる蟹のお面を画用紙で作る。先生が描いた蟹の絵に、自分たちで色を塗る。私は黄緑色をざーっと塗った。
そうして迎えた本番。他のどの子蟹よりもセリフがよく言えてたらしい。

4歳になった私。

またお遊戯会の季節がやってきた。
そして、どういうわけか、またクラスで「さるかに合戦」をすることになった。4歳児の私は、ちょっとだけ親蟹の役に憧れていたが、決まったのは子蟹の役。2年連続、子蟹である。

また、セリフを覚えて、練習して、本番を迎える準備をする。この時に作った蟹のお面。自分で蟹の絵を描いた。不器用で絵心のない4歳児の私が描いた蟹は、どの子蟹よりも大きかった。でも、色はやっぱり黄緑色をぼちぼち塗った。

こうして迎えた本番では、舞台袖で、「あー、やっぱり親蟹がよかったなぁ」と思っていたのを、うっすらと覚えている。
セリフはこの年もバッチリだったらしく、この頃から、この子は本番に強いぞ、と言われるようになった。

5歳になった私。

年長組に進級するタイミングで、引っ越しがあった。本州から九州へ。
ということは、当然、通う幼稚園も今までとは違う幼稚園であったのだが、お遊戯会はどこの幼稚園でも行われる。

転園した幼稚園でのお遊戯会の演目は「さるかに合戦」・・・ん?また、さるかに合戦??さすがに、5歳児の私もこの時は「ん?」と思った。3年連続だ・・・。
そして、役決めの時、自ら子蟹の役に手を挙げた。なんなら、自信満々で、子蟹役に手を挙げていた。

5歳児にもなると、さるかに合戦のストーリー展開は頭の中に入っており、セリフも過去2年とそこまで変わらなかったので、それもバッチリ。
子蟹のお面作りも慣れたもので、さっさと蟹の絵を描いて、色を塗った。が、不器用さは変わらず、子蟹なのにやっぱり大きいし、色はなぜかやっぱり黄緑色を堂々と塗っていた。

こうして迎えた本番は、堂々たる子蟹だったそうだ。そりゃあ、2年のキャリアがありますもん。私自身も、大きな声で堂々と舞台へ出ていったのを覚えている。

撮った!

栗の木に、栗の実ができると思い出す。この私の履歴。
「さるかに合戦 子蟹役 3年」
そう、栗といえば、私にとって、さるかに合戦の子蟹役を思い出さずにはいられないのだ。栗の役でもなかったのにもかかわらず・・・。

なので、茹で栗、焼き栗、栗きんとん、モンブラン、栗ごはんなどなど、食欲の秋は、子蟹役の芸術の秋の次に出てくるものなのだ。どれもあんなに美味しいのに…ね。

そんな、むかしむかーしのお話でした。