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クリエイティブの喪失か消失か
タイは景表法が存在しないので、みんなNo.1なのである。
— あこ🎬🧠🦄 (@ako_film) June 18, 2024
日本の場合はNo.1を名乗るためにはエビデンスが必要なので※〇〇の条件下で〇〇の実験を行った結果によるもの。みたいな注釈が無限に入っている。#街中クリエイティブ pic.twitter.com/Wr8sKN0U4R
いま、バンコクにいる。
それは言語化するごとに陳腐になるのでなにも言いたくなくなるが言語化せざるをえない。
沢山の人に可愛がって頂いて来たんだなとか、色んなこと許してもらってたんだなと。
タイは感謝と親切の国、多大な無償の愛ということを体感するには十分である。
私は今までどう生きてきたのか見当も付かぬほど空回りしていた2年間であった。自分の不器用と言うのを本気で目の当たりする。
最初は、うまくいかない。
次は、目の前の認知がどんどん歪んでいく感覚だった。
人との境界線が見えず、全てが均質になってしまった。
そうなると不出来の方が目立つ。
深い、泥の様なテクスチャを泳ぎならもがいた。
自分として生きることと母として生きることの両輪は尋常じゃないハードルの高さだと学んだ。
子どもとの時間を作るために、時間を売っているひと。
「幼児教育」と「ファネルの教育」の違いが分からなくなっているひと。
一生、魂の修行をしているひと。
いくらサブカルチャーが好きとはいえ、踏み込んではいけない領域であると感じた。渋谷区だけでもこんなにも世界は広いのだなと。
現在タイ5日目、屋台飯でお腹をガチでやばいレベルで痛めた。
想定するに、最近飲んだ抗生物質により細菌が育っていなかったのであろう。意識が朦朧として、全く話せず、全員に迷惑をかけた。
…と言う気持ちももちろんがあるがそれ以上に「感謝」の気持ちでいっぱいだった。目の前で苦しむ人間なんて放っておけば良いのに、それが出来ない優しいひとたち。私たちは、彼らの優しさを食ってはいけないのだ。その力は本人に使ってもらわなければ困るのだと。
私はその優しさのかけらを少し食べてしまったことに罪悪感を覚える。
そう言えば、スピリチュアルが喪失か消失をした。
私にとってのスピリチュアルはクリエイティブなので実質アイデンティティを失ったことと同義となる。毎日泣いていた。
あと2日間。残りはどうなるのだろう。
心残りの無い人生を。
Have a nice trip.
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