落胆
じゃあね、と言って彼女が樫の木の扉を閉めたのをジリジリとした思いで見送った。
信じられない。
私の上昇が押しとどめられるなんて。あの子は、あの子なら快く受諾すると確信していたのに。それを拒むはずなどないと、ようやっと天に戻る通路を取り戻せると思ったのに。素直で単純、私が探していた依代にぴったりの人間だったのに。なんとしたこと……少しは賢しらなところがあったのね。
何が気に入らないのだろう?馬鹿げた人間らしさで、自分が利用されることが気に障ったのだろうか。けれど、それとて彼女自身の喜びが追随してくるに違いないのに。誰かがあの子に入れ知恵をしたのだろうか。いったい誰が。
葡萄酒色のカーペットが覆う床を這い、月のない夜空の下、運河沿いの石畳みの道に出る。蛇の姿はここでは誰の目にも留まらない。建物の玄関脇にある街灯にスルスルと身を沿わせてランプの根元近くまで昇ってゆく。昇るのは性分なのかもしれない。ふたりが籠った部屋の窓越しに漏れる明かりを見遣って腹立ち紛れに威嚇のあくびを連発し顎が外れそうになった。
誰だろう誰だろう
私の邪魔をするのは
私達の邪魔をするのは
幾世代にも渡り受け継いできた生命の螺旋運動
祖母から母へ 母から娘へ
知るともなく知られ 言葉もなく伝わり
複製され続ける命のなかに時がくれば発動するようにとセットされたもの
この流れが循環しなくなって世界はおかしくなった
愚かで賢しげな人間たちが増えつづけ
私達の天との循環が遮られて久しい
蛇は土のもの
天と通じて世界を満たすもの
昇ったのちに再び地に降り注ぐもの
……私達の循環は世界を祝福するものなのに。
鉄の支柱にピタリと顔を寄せて蛇は溜め息をついた。鉄の匂いは好きだ。血の匂いに似ているから。少し自分は焦りすぎたのかもしれないと、チロチロと舌先で鉄の味を舐めながら落ち着こうとしてみる。血のことを考えると蛇のなかの時間は一気に濁流となって遡りはじめる。
……土星!
蛇は直感する。
あの子に入れ知恵したのが誰なのか、それは彼女の種族の頭領でもある土星だったのだ。
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