星はめぐらない

太陽系はそれ自体が銀河のなかを突き進んでいる。

太陽が彗星の核のようになり惑星たちを引き連れながら今も銀河のなかを疾走している。

惑星は公転するだけでなく各々が螺旋状に宇宙空間を進み続けている。周回終わりは常に以前とは異なる位置にある。戻ったようにみえる始点は重なることはない。


天にあるものは地にもある

これは占星術師が世界を読み解くために常に心に置いている言葉だと言う。彼らは天体の動きと地上の出来事、個人の出来事のあいだにフラクタルな投影を見つけ出す。


わたし達は出来事をくり返す。

わたしがわたしであることを確認するために記憶のかけらを常に貼り合わせながら足下にのびるであろう道に敷き詰める。

季節が巡り戻るようにわたしの毎日も記憶のなかの日々が再び繰り返されると思いながら過ごしている。

その実、それが再び繰り返されることはない。

それは時間の膠着、宇宙の膠着を意味する。

天は動き続けている。めぐり戻った地点は記憶のその場所によく似てはいるがその座標を遥か後に退けて常に新しい“今”にある。


わたしが記憶の亡霊を呼び戻さなければ、それはここには存在しない。無として拓けたそこに何を招こうが自由なのだ。

星々の記憶はわたしの前に過去として立ちはだかる壁をよじ登る足場の積み石となるためのものとなる。有史以前から積み上げられ、いまも集積され続ける。太陽系として突き進む箒星のしっぽ。


唐突に何年も何年も前にひとから言われた言葉が蘇った。


ああ。

なるほど。

あのときのあの言葉がここに繋がるのか。


フラクタルな事象として記憶の煉瓦が突然足場に差し込まれた。

そのとき言われた言葉を時を超えて今度はわたしがひとに向けて言おうとしていた。立場を変えたら見えてくる。その意味のなさ、いらないことだ、ということ。

それがいま必要ではない、と知るために発せられた言葉だということ。記憶がわたしをアシストする。少しだけ、わたしは賢くなる。

螺旋状にめぐる心的現象。

繰り返しのようで変わっていく。


どこに行き着くかは誰にも分からない。それは占星術師にも、予言者にも。どんなに賢いひとであっても。







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