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ヨルヲカサネ⑤

「なんか、年々暑くなるなぁ」

    青々とした空を恨めしく思いながら、郵便物を回収する。たった数分でも、焼かれるようだ。昼間は特に、なにもそこまでしなくてもと思うくらい気温が上がる。こうやって、暑い暑いと喚きながら夏が終わるんだ。
    大人になれば、季節なんて関係なく、やることは限られてくる。仕事してたまに友だちと遊んで、恋人がいればデートなんかもして。まぁ、わたしはアメがいるからと言い訳して、ほとんど出かけないけど。
   
「季節が変わるごとに感動していた子ども時代には、もう戻れないなぁ」

    わたしはなにも変わらないのになぁ、なんて。変わりたくなくてもがいた結果が、今のくせに。
    去年の梅雨ほどの濃密さはどこにもなく、今年の梅雨はさらっと終わった。それでもまだ、雨の庭にないはずの影を探したりして。よかったじゃんって思う反面、なんだそれとも思ってしまう。どこかでやっぱり、ちょっと納得いかない。一回のみ込んだあとの納得のいかなさときたら、手に負えない。
    パソコンの検索履歴には、しっかりと成仏という単語が残っている。まぁ、わたしもそこそこ安らかだし、いいんだけどさ。ただなんか、あの消え方は情緒がなかったな。だんだん薄くなって、とかじゃなくて、電源切ったみたいにぶつって消えるんだもん。呆気に取らてちょっと笑ってしまったことは、再会しても内緒にしておいたほうがいいかもしれない。
    今年も無事にやってきた桃からは、甘い匂いがする。そういえば、天国って桃があるんだっけ。うろ覚えの知識で、そんなことを考える。見た目もかわいいし、香りもいいし、おいしいし、果実として言うことなしだもんな。ふわりとした感触を楽しむように、そのピンク色を撫でる。

「にゃあー」
「アメ、おはよ。ずいぶん長いお昼寝だったね」

    気まぐれにやってくる客人がいなくなって戻った日常は、淡々と過ぎていく。
    朝起きて、まず仏壇に手を合わせて、並んで笑う父と母におはようと声をかける。洗濯機を回しながら、わたしより早く起きているアメと気が済むまで遊んで、仕事を開始する。休憩と家事を挟みながら、その日やることを片づけていって。夕方、アメが起きていたら、ここはまぁ、アメの気分次第で遊んだり、おやつにしたり。それから、時間は特に決めずに散歩に出る。この時間だけは、頭を空っぽにすると、そう決めている。そうやって一日を終えてひと息つくと、アメがここぞとばかりに甘えてくるから、存分に甘やかして。そして、静かに床に就く。
    多少のイレギュラーも入りつつ、大体がこんな風に過ぎていく。ゆっくり、だけど確実に。なんだか、すごく静かだ。

「あそぶ?」
「にゃ」

    わたしはもう、この子がいないとダメなんだろうな。なんなら、アメを中心にわたしの生活は回っているようなものだし。ときどき大胆に野生をかなぐり捨てたり、いまだに野良のような動きを見せたり、アメの動きは、なかなかに忙しい。生きている、命がそこにある。その生命力が、わたしを生かしている。
    一頻り遊んだあと、そういえば郵便物の確認がまだだったことを思い出して、その束に目をやる。少しはみ出した絵葉書に、首を捻って、誰だろうと手に取った。差出人欄には、住所のみ。端に小さくKと書いてあった。写真は海で、空とは違う青は、とても眩しい。

「んー?いやいやいや、そんなことある?」

    頭に浮かんだ考えは、実に愉快なものだった。これはもう、事情というか種明かしというか、とにかく聞きに行くしかない。ありえない答えが出てしまった問題には、説明を求めるのが筋だろう。
    次の休みだな。カレンダーを見てそう決めて、絵葉書をおでかけ用のカバンに入れる。当日、間違っても忘れないように。ちらっと見た住所は、そんなに遠くなかったはずだ。
    一番初めに、何を言おう。言葉で足りるかな。あのしかめっ面でポストに向き合って。そこまできても、出すかどうかで少し悩んだりして、それでも最後は、気づかないのなら来なくてもいいわと、なにも書いていない絵葉書をポストの口へ手放す。そんな光景が浮かんで、想像なのにおかしくて、しばらく笑いが止まらなかった。

「一言目は、出た言葉に任せよう」

    あなたもいつか、逝ってしまう。アメだって、もちろん、わたしも、いつかは去ることになる。雨の庭も青空も口にされなかった緑茶も桃も、全部全部、置いていく。でも、身軽になるいつかまでは、この日常を生きていく。あぁ、でも。呪いと恨みは持っていこうかな。わたしのは捨ててしまったから、どこかの誰かの悲しい想いは、できる限り持っていこう。

「にゃあん」
「はいはい、もっと遊べって?」
「うにゃ」

    夜を重ねて、会いに行く。言葉にするのがへたくそすぎて、無言になったであろう手紙をカバンに忍ばせて。慰めを欲しがらないまぬけさと、それに見合う強さを隠して、何食わぬ顔で、会いに行く。



    まさしく、海の見える街。手にある絵葉書と一緒の風景に、ベタすぎない?と笑った。ゆっくり打ち寄せる波を、しばらくぼんやり眺めて、これは住みたくなるなぁと書いてある住所へと歩く。
    たどり着いたそこに、あの日の面影は立っていた。ちゃんと年相応に、でも、若く見えるのは地だったんだと、またしても笑ってしまった。

「あたし、死んだと思ってたわ」
「わたしも、そのつもりだった」

    お互い笑っちゃって、次の言葉が出てこない。もう、一生分くらい笑ったかもしれない。
      それから、話をした。二人で、お茶を飲みながら。
    事故に遭って昏睡状態だったこと。なんでだか分からないけど、寝てる自分を眺めてたこと。風の噂で聞いた訃報を、聞かないふりでずっと過ごしていた。今さらどの面下げて会い行くというのか。でも、こうなってしまって、あぁ、この姿なら、誰にも気づかれずに彼の元へ行って、誰に憚ることもなく泣けるかもと、そう思って父の元へ向かえば、その子どもはしっかり自分を認識していた。見えている、バレてしまう、どうしようか、なにから話そうか、いや話さないでおいた方がいいか。どんどんどんどん、そこにいればいるほどに、なにも言えなくなった。
    結局、言い逃げしたけど、ごめんねってずいぶん軽く言ってくれたキミコさんは、そこまで悪いとは思っていなさそうで。
    ほんとに、もうさ、ほんっとに。

「なんなの、もう」

    これからは、そうだな。年に、一回くらい。お茶を飲みながら、ときどきアメも交えてさ、二人で、話そうか。悲しくない夜のほうが、とめどない笑顔のほうが、重ねるときれいだからさ、きっと。



END.
    

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