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可惜夜

 未練をしたためた紙を、小さく折りたたむ。行き先のないその手紙は、とても哀れで。ぐちゃぐちゃに丸めて捨てるなんて、できなかった。そこに内包されたもの、その全てが今のわたしを作っている。

「ねぇ、さっきからなに書いてるの?」
「…遺書」
「待って、え?なんて言った?」
「遺書、書いてる」

 目が泳ぐって最初に言い出した人、誰だろう。上手いこと言ったもんだなぁ、なんて思いながら目の前の同居人をじっと見つめる。
 驚くのも無理はない、分かっている。自分がいかに突拍子もないことをしているのか。でも、別におかしなことじゃないと思う。最期のときというのは、突然訪れるものだから。だから、書くなら元気なうちかなと思っただけ。

「なるほど」
「これはさ、手紙だよ。遺書って聞くと面食らうかもしれないけど、要は未来への手紙」
「んー分かるような、分からないような」
「書いてみる?」
「っいや、うん。あたしはまだいいや」

 この、ずいぶん素直な同居人とルームシェアを始めて、数年経つ。きっかけは、なんだったか。あぁ、そう。ハンカチを拾ってくれたんだった。強く肩をつかまれて、すごく驚いたのを覚えている。
 わたしはそのとき、とにかく急いでいて、一心不乱に歩いていた。落としたハンカチにも、それを拾って声をかけながら必死に追いかけて来てくれている人がいることにも、全く気づくことはなく。それで彼女は、なんで気づかないんだよと、なかばやけくそで肩をつかんで引き留めてくれたわけだ。
 そんな彼女は、会社の独身寮に住んでいたけど、なんとその会社が倒産、もちろん寮に住み続けられるはずもなく、あてもなくさ迷っていた。対してわたしは、夫の浮気が発覚して離婚、とりあえずマンスリーマンションに移り住み、とにかく就職をと面接に明け暮れる日々。そんな余裕のない女二人が出会って、なんの因果か、同居している。
 そう、わたしの人生はまさに、未練そのものだ。唸るように閉じ込めた言葉なんて、それはもう、たくさんある。それらは、ずっと出口を求めていた。わたしは、解放しなくちゃいけない。だから、手紙をしたためる。

「……やっぱあたしも書く」
「ん」

 便箋を差し出すと、少し嬉しそうに彼女は笑った。それから向かい側に座って、薄っぺらな紙に真剣に、まるで挑むという言葉がぴったりなほどの気迫で言葉を綴っていく。

「これ、あたしアンタあてだから」
「…なにそれ」

 家族とか大事な人とかにしなよ、とは言わなかった。言えなかった。わたしだって、ただ未練をひたすら目の前の彼女にあてて、吐き出しているだけなのだから。


 いつか。そう、いつか、あなたがこの手紙を開けたとき、笑い話にしてほしい。わたしのこの、未練だらけの人生を、笑って聞いてほしい。




了 (1,120文字)





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