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cvpaper.challengeだョ! 全員集合

はじめに

東京電機大学の中村と申します.

研究コミュニティ cvpaper.challenge 〜CV分野の今を映し,トレンドを創り出す〜 Advent Calendar 2023

の22日目を担当します.

本日12月22日(金)は冬至ですね.柚子湯に入って身も心も温まりましょう.


2015年5月から始動したcvpaper.challengeの経緯については,創始者かつ主宰者である片岡裕雄氏が最も詳しいのが当然であるが,最初期のメンバの指導教員(エッヘン!)の観点から当時の様子をとりとめもなく記述する.

私の担当日後の記事担当の先生方は多分真面目に執筆されるだろう.ならば,中村は砕けた文調でいくことにする.

ふざけたっていいじゃないか 研究者だもの   あきを

オイッス~! 画像処理分野における学会活動と研究者らとの出会い

まず,片岡氏と私の関わりを述べたい.え,別に興味ないって?まあ,そう言わずにしばらくお付き合い願いたい.

彼との出会いにおいて,公益社団法人精密工学会の下部組織である画像応用技術専門委員会 (Technical Committee on Industrial Application of Image Processing; IAIP) の話が欠かせない.いきなり関係ない話で恐縮だが,2017年2月発行の「画像応用技術専門委員会 30周年記念誌」から少々引用したい.別にこれにより字数を稼ぎたい,などという姑息な意図は毛頭ない.ないったらないのである.

(前略)
1. IAIPと私
画像応用技術専門委員会 (Technical Committee on Industrial Application of Image Processing; IAIP)と私との関係について簡単に振り返る.
私の学位論文は「移動ロボット群操作システムの開発」であり,一人の操作者が複数ロボットを操作する方法について研究していた.その研究を通して,周囲の環境の計測・観察・認識技術が必要であり,その中でも視覚が重要であろう,と常々感じていた.
画像処理と本格的にかかわるようになったのは学位取得後,2001年に助手になってからである.助手として配属されたのはコンピュータビジョンをメインテーマとする埼玉大学・久野義徳研究室であり,願ったり叶ったりであった.
IAIPとのかかわりができたのは大学時代の同期・友人であり,先にIAIPに所属していた山下淳先生(当時静岡大学)に誘われ,浜松で開催されたサマーセミナー2003に参加したのがきっかけである.
サマーセミナー2003は,まだ画像処理の研究を始めて2年足らずの私にとって非常に参考になり,有意義な議論ができたと記憶している.また,夜の懇親会も非常に楽しい印象があった.さらに,現在もお世話になっている諸先生方の面識を得ることができたのも大きな収穫であった.特に輿水大和先生が私と同郷・山梨出身であり,方言話で盛り上がったのを懐かしく思い出す.その後すぐにIAIPに入会したのは言うまでもない.
運営側にかかわるようになったのは,2005年に東京電機大学に赴任してからである.忘れもしない2005年9月30日,東京電機大学(神田キャンパス / 2012年に東京千住キャンパスに移転) 11号館7Fの会議室で運営委員会が開催されていた.私の教員室も同階にあり,トイレに行こうと外に出たちょうどそのとき,故・角田興俊先生に出会ったのである.
当時角田先生は委員長であり,「あれ?なぜここに?あ,大学移ったの?だったら,運営委員会に入りなよ」と気さくに誘っていただいた.そのまま会議に連れて行かれ,あれよあれよという間に運営委員になってしまった.人の縁の不思議さを感じる次第である.

2. IAIPにおける主な業務
IAIPで主にかかわった業務,そこから学んだこと,すなわち財務管理やその他について述べる.IAIPは学会組織であり,学術的知識を得ることは当然であるのでここにはあえて記さない.

2.1 IAIPで主に運営にかかわった学会・行事
運営委員に加えていただいた2005年以降,微力ながらIAIPが主催する学会・行事の運営に携わってきた.主なものは以下の通りである.
・ サマーセミナー2007企画委員会幹事
・ サマーセミナー2010企画委員会幹事
・ サマーセミナー2011 企画委員長
・ ViEW2010 実行委員会幹事
・ ViEW2011 実行委員会幹事
・ DIA2010 プログラム委員会幹事
・ DIA2013 プログラム委員会幹事
・ DIA2016プログラム委員長
・ Mecatronics2014 Local Arrangement Chair
・ 精密工学会・出版部会・会誌編集委員会委員 (IAIPから派遣)
(後略)

「画像応用技術専門委員会 30周年記念誌」 2017年02月

画像処理の素人同然であった私にとって,IAIPという学会組織との出会いはその専門家から知遇を得る絶好の機会であった.トイレに行く途中で運営委員に誘われるなど,あまりしまらない話ではあるが,私にとっては運命的な出会いであった!?

様々な先生方と出会う中で,特に,慶應義塾大学・青木義満先生,産業技術総合研究所の佐藤雄隆先生は,博士学位の取得が2001年3月だった縁で,もともと出身研究室が同じで同期であった東京大学・山下淳先生とともに,「2000年度博士組」とかなんとか称して仲良くしていただいたのが今でも印象深い.なお,岐阜大学・加藤邦人先生とお知り合いになれたのもこの頃である.

何だ,君は?!

で,やっと本題の片岡氏との出会いであるが,サマーセミナー2009に,彼が青木義満研究室の修士課程1年の学生として参加した時がおそらく最初であろう.残念ながらその時の写真は持っていないが,翌年のサマーセミナー2010の時の写真があったので何となく掲載しておく.企画委員会幹事をやっていたので,各参加者の写真を撮影していたのである.

若き日の片岡氏・2010年8月 at サマーセミナー2010/越後岩室温泉
集合写真・ 2010年8月 at サマーセミナー2010/越後岩室温泉
最前列右下から斜め左上方に向かって青木先生,中村,片岡氏

背が高くて,ものおじしない学生だなあというのが彼に対する印象であった.その後,博士課程に進学したのは承知していたが,研究成果でも徐々に目立ち始めていた.現在の彼に繋がるような実力を着々と蓄えていたのだろう.

なんだチミはってか!?

最初に片岡氏が東京電機大学・中村研究室に来訪したのは2012年9月のことだった.彼は学会で出会う度に自分から挨拶をしてくれ,短い会話を交わすこともしばしばであった.

話はやや逸れるが,2023年現在において,彼は,実績を出しても奢らず,礼儀正しく,飄々としている.そういう点で昔も今もとてもかわいげのある人である.学生諸君,OB・OG諸君は,彼の美点も見習ってもらいたい.

当時,彼は博士課程2年であった.確か「研究室に遊びに行っていいですか?」という一言がきっかけだった.それだけならまだしも,「研究の発表をしていいですか?」とも言ったような?しかも,トピックリストを自ら挙げてきた.

  • 歴代の研究

  • 米国滞在

  • 産総研での生活

  • 研究への取り組み

こ奴は一味違うな,と驚くとともに,非常に感心したのを記憶している.

それに対して中村研究室の学生が出したリクエストがこれまた無茶であった.

発表してくださる内容のリクエストですが,
・どのように研究を進めているのか(発想法や計画の立て方、取り組み方)
・どうやったらこんなにたくさん発表できるのか
・生活リズムや時間の使い方
・情報収集の仕方
・学部生・院生に対するアドバイス
・アメリカでの経験
・産総研での生活
これらの話をしていただけるとありがたいです.

中村研究室学生からのメール on Wed, 05 Sep 2012 20:46:32 +0900

これでも私がたしなめた後である.君たちと比べて,彼は数年先輩なだけだぞ?その道の泰斗に講演をお願いしているんじゃないんだぞ?

ところが,このリクエストに対する片岡氏の反応も奮っていた.

片岡です.
下記,了解しました.

全部真面目にやったら5時間くらい(!)の話になりそうなので,
研究概要とそれぞれ項目のポイントをおさえた上で説明します.

片岡氏からのメール on Wed, 5 Sep 2012 21:01:46 +0900

チミは一体何者なんだ,と思った次第である.

そうです,彼が変なアニキです

青木研の学生を数名引き連れて意気揚々と乗り込んできた片岡氏だが,自ら売り込むだけあり,彼の話は非常にエキサイティングであり,保守的でおとなしい東京電機大学の学生にとてもよい刺激を与えてくれた.

それをきっかけとして,片岡氏と中村研究室学生との交流が始まった.そして,2013年4月,片岡氏との共同研究がスタートした.学部4年生の宮下,山辺が,片岡氏の指導・助言のもと,それぞれ詳細動作認識,行動識別の研究を開始したのである.

私は当時,彼に対して「あなたはうちの学生にとっては身内であり,アニキ的な存在です」と言ったことがある.彼は他大学の博士課程3年の学生でありながら,年複数回の講演,飲み会や忘年会参加など,中村研究室学生と積極的に関わりをもってくれた.模範となる,しかしSF(少し不思議)な兄貴分であった.

たった602本,だいじょうぶだぁ~

そんな中,片岡氏は2014年にドイツ滞在を経験し,現地のトップ研究者の実情に触れてきた.机には200本以上の論文が積まれ,年間500本以上の論文を読んでいたという.その知識に裏打ちされた議論の的確さに圧倒されたらしい.また,2015年4月から産業技術総合研究所のポスドクとなり,そこでもやはりサーベイの重要性に気付かされたとのこと.

知識を体系化し,共有することができたら,先端技術を把握し,素晴らしい研究成果に繋がるのではないか?これが彼のモチベーションであった.彼は思いついた,「CVPR2015の論文602本完全読破,要約作成をしよう」と.思いつくことは誰でもできる,彼が凄いのはそれを実行しようとしたところだ.

ただ,彼はまだポスドク,周囲に学生がおらず,人員不足は否めなかった.でも彼はめげなかった.「最悪,⾃分⼀⼈で602本読めば終わる」期間は数カ月…そのポジティブ思考は一体どこから?あ,上に書いてあるか.

アー,ミー,マー,え,英語?

一応ダメ元で声をかけてみるか,と前述の宮下や山辺(彼らは修士課程2年になっていた)に声をかけたところ,思ったより好感触を得られた.後輩の学部4年生数名も巻き込むことに成功した.2015年5月7日,片岡氏と東京電機大学中村研究室学生から構成される約10名のグループによる,CVPR2015論文完全読破・要約作成プロジェクトとしてcvpaper.challengeが始まった.

ここで重要な事実を述べる.当時はDeepL翻訳のようなそこそこ使える翻訳サイトやソフトはなかった.google翻訳の出力は酷いものだったと記憶している.それに対して,中村研究室学生の英語の実力は…惨憺たるものだった.TOEICの点数は言うに憚られた.

それにもかかわらず,片岡氏を隊長に,グループメンバは英語論文読破に果敢に取り組んだ.これは片岡氏にも驚きだったようだ.

東京電機大学の学生は,はっきり言って基礎学力が不足している.でも,勉強が不足しているだけで,やる気があれば素直に頑張れる者が多い.オタク気質というべきか…(ボソッ).そのような学生にやる気を出させ,成果を出させる,教員としての醍醐を味わい放題なわけである.

論文 なぜ読むの? 僕らの勝手でしょ~♪

当時の様子を表す象徴的な写真があるが,少し前提を説明しておく.

修士課程2年生になっていた宮下が中国杭州市で開催されたSICE2015で発表した.彼は英語が不得意にもかかわらず,必死に準備をした.その発表を聴講していただいた東京工業大学の知り合いの先生から「うちの学生よりできがよい」とのお言葉をいただき,鼻が高かったのを覚えている.International AwardのFinalistにも選ばれた.

宮下(中村研究室M2)と片岡氏・2015年7月 at SICE2015/中国杭州市

その帰路,杭州蕭山国際空港で帰国便を待っている間,片岡氏と宮下が二人揃ってカバンをごそごそやりだした.何をやっているんだろう?と見ていると…論文を取り出して読みだしたのである.そう,CVPR2015の論文である.まさに寸暇を惜しんで読破に取り組む姿に感動半分,呆れ半分である.思わずカメラのシャッターを押してしまった.このてぇてぇ光景を見たら誰もがそうするのではないだろうか?

宮下(中村研究室M2)と片岡氏・2015年7月 at 中国・杭州蕭山国際空港
SICE2015からの帰国便搭乗待ち中の風景

あんたらも好きねえ❤

CVPR2015論文602本完全読破・要約作成プロジェクトは成功裏に終わった.片岡氏はチャレンジ終了後はプロジェクト解散の予定だったらしいが,一転してcvpaper.challengeは継続となった.片岡氏曰く,「論⽂調査〜研究の体制を⼀気通貫で整備開始し,これが原型となり現在に⾄る」とのことである.

片岡氏は2016年には研究員,2020年には主任研究員,2023年には上級主任研究員となり,産業技術総合研究所内で地歩を固めている.また,2016年5月以降,東京電機大学の研究員となっている.中村研究室との連携も2023年現在まで連綿としている.中村研究室関して,cvpaper.challengeへの参加開始年度と主要メンバを列挙してみる.全員ではないがResearch Assistantに採用されている者も多い.抜けがあったらごめんね,ごめんね~.

  • 2015年度 宮下 侑大 (M2),山辺 智晃 (M2),阿部 香織 (B4),森田 慎一郎 (B4)

  • 2016年度 岡安 寿繁 (B4),松崎 優太 (B4)

  • 2017年度 美濃口 宗尊 (B4),吉田 光太 (B4)

  • 2018年度 若宮 天雅 (B4)

  • 2019年度 山田 亮佑 (B4),渡部 海 (B4)

  • 2020年度 -

  • 2021年度 速水 亮 (B4)

  • 2022年度 大塚 大地 (B4)

  • 2023年度 松尾 雄斗 (B4)

その後のcvpaper.challengeの発展は読者諸氏の方がよくご存じだろう.少し目を離すだけで目まぐるしく変化するその成長っぷりには驚くばかりである.

例年,学部3年後期に研究室に配属されたきた学生たちに,「産業技術総合研究所のAI若手エースたちと研究してみたくない?」と勧誘している.単純な^H^H^Hもとい,純粋な志望学生の中から,まずはやる気重視でメンバーを選抜し,cvpaper.challengeに送り込んでいる.

論文読めよ,研究やったか?また来年~

ここで再び「画像応用技術専門委員会 30周年記念誌」から引用したい.少々文脈が異なる部分があり,まとめに向けて少々乱暴なのは百も承知である.あるったらあるのである.

2.3 運営を通して学んだこと・感じたこと
ここまでお金のことしか言っていないような気がするが,学んだこと・感じたことはもちろんそれだけではない,
まず,サマーセミナーを通して学んだことは「若手育成の重要さ」である.初めて参加したサマーセミナー2003は途上研究も多く,予稿がない研究も発表されていた.しかし,最近は完成度が高い研究が多く,やや参加の敷居が高くなっているようにも感じる.
ViEW,DIA,Mecatronicsにおいては素晴らしい幹事団と仕事ができた.「人とのつながり」である.前述の通り,運営に携わることにより,画像処理の世界では右も左も分からなかった私が素晴らしい先輩方や仲間の知己を得ることができた.
会誌編集委員会では分野違いの方とも知り合いになることができた.これも「人とのつながり」である.その際,IAIPは専門委員会の一つでしかないのにもかかわらず,国内・国際会議を複数定期的に開催しており凄い・素晴らしいとお褒めいただき,IAIPの一員として非常に嬉しかった.
私が運営に携わる際に心がけたことは「報告・連絡・相談」である.「情報共有,意思疎通,業務遂行可否の迅速なアピール」と言い換えることもできる.これまでかかわった方で,いわゆる「できる人」かつ「信頼できる人」は何をおいても可及的速やかに報連相ができる人であった.
特にViEWのときには1日のうちに数百通のメールが飛び交うこともあったが,実行委員会,プログラム委員会の幹事団の皆様とは助け合って業務を遂行できたと思っている.
ただ,最近感じているのは若手への負担である.学会の仕事を一緒にしていただきたい30代前半の研究者は任期制で地位が安定していない.それでも働いてくれる意欲的・血気盛んな若手は引く手あまたで負担が大きい.学会の仕事は手弁当で,といっても限界がある.
(中略)
以上,「財務管理」「若手育成」「人とのつながり」「報告・連絡・相談」「今後について思うこと」といったことをつらつら述懐した.

「画像応用技術専門委員会 30周年記念誌」 2017年02月

最後のまとめの部分,「若手育成」「人とのつながり」「報告・連絡・相談」「今後について思うこと」といった部分はcvpaper.challengeにも共通する重要な事項ではないだろうか.

学生・若手研究者諸君にとって,cvpaper.challengeへの参加は今後の研究生活においてかけがえのないものになるだろう.研究どっぷりで大変だろう,周囲の優秀なメンバに対して劣等感を抱くこともあるだろう,研究が思うように進まなくて涙することもあるだろう,すべてが素晴らしい経験である.別にcvpaper.challengeでなくても同様の経験はできなくもない,しかし,cvpaper.challengeは,密閉・密集・密接 (あ,密閉はしてないね…でもまあいいか,合宿勉強会は密閉ってことで…) の三密状態で最高度の知的経験が提供されるコミュニティといえる.

cvpaper.challengeメンバ諸君,cvpaper.challengeを創始した片岡氏,並びにその手伝いをした初期参加学生メンバに心から感謝したまへ ,そして誇りをもって前に進むのだ! (何の権限もないが,ノリで偉そうに言ってみた)

おわりに

片岡氏に出会えたこと,cvpaper.challengeに学生を送り出せること,これらは私の豪運である.昔から周囲の人には恵まれていた.エヘヘ.

この場を借りて関係各位に深謝の意を表すとともに今後も変わらぬご指導・ご鞭撻をお願い申し上げる.

cvpaper.challengeにかかわる全ての方々の,
より一層のご健康とご多幸,cvpaper.challengeのご繁栄を衷心から祈念する.

以上

2023(令和5)年12月22日 (金)
中村 明生 (東京電機大学)


だめだこりゃ

蛇足の言い訳…

  • 文中,cvpaper.challengeのメンバゆかりの先生に触れるが,漏れてはいけない方の名前がないことがあるかもしれない.また,事実関係に齟齬があるかもしれない.これらはすべて著者の記憶力減退に起因するものであり,他意や隔意は全くない.

  • 「はじめに」「おわりに」以外,すべての目出しは私が敬愛する複数の人物の発言のパロディである.

  • 一部の文調は,「物書き」原田宗典氏のエッセイを模倣した.原田氏のエッセイは軽妙洒脱であり,若い頃に好んで読み漁った.決しておじさん構文ではない.ないったらないのである.


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