毒母に思うこと

毒親育ちの人が、その毒に気づいてなお「それでも私は母のことが大好きだったんだ!」って言う人多いけど、
うーんなんか違和感あるなと思っていた。
そして私は気がついた。
確かに私も母の愛を求めてはいたけれど、私は私で母を愛していたわけではなかったんだな、と。

子供が親に愛情を要求するのは、当然の生存戦略だ。それがなければ生き延びられる可能性が下がるからだ。
私が小学生の時に少ないお小遣いを貯めて母にプレゼントしたのも(ダメ出しされたけど)、アレもこれも、ホストにお金を注ぎ込むようなものだ。
「あなたが愛してくれるなら」という条件付きの愛だ。
無条件の愛を母に差し出していたわけではなかった。

当たり前に親に「自分は愛されている」と感じられる子供は、わざわざ親に愛されようと努力する必要もないし、そういう子供は無条件に親を信頼する(愛する)に違いない。

母も、私を愛そうとはしてくれていたのかもしれない。
でも思い起こせばどう考えても私を憎んでいたとしか思えない場面が浮かぶ。
母は、私の姉も巻き込んで私の尊厳を奪うようなことをし続けた。
おかげさまで「自分はダメな子」意識を強固に植え付けられてきた。

母は未子の私に自身の子供時代を投影してイライラしていたのかも。
10人兄弟の末っ子の母は、兄姉にバカにされて育ったに違いない。
兄姉たちがバカにしたつもりはなくても、年長の兄姉たちができることが自分にはできないというだけで、コンプレックスを植え付けられたに違いない。未子の宿命として。
その役割を今度は私に押し付けることで、何か自分が子供時代に失ったものが取り返せると思ったのかもしれない。
おそらくあらゆるイジメの動機はそれなんだろうな。

それでも私は、母に愛されたかった。でもそこに理由はなかった。
「生存戦略」以外の理由は。

そう思えば、母が亡くなる前の数年間は、立場が逆転していたのかも。
末期がんが判明して、母が一時入院していた東銀座のがんセンターがたまたま私の職場から徒歩で行けるほど近かったことから、たびたび顔を出さざるをえなかった。よく覚えてないけど、週1回くらいしか顔出さなかったんじゃないかな。
当時私は20代前半。その頃には、仕事も楽しかったし彼氏もできたし、実家暮らしとはいえ母の重力圏からは逃れて自分の居場所を確立しはじめていたから、もう母の愛は必要じゃなかった。
入院中の母を訪ねるのははっきり言って面倒だった。母に会いたいという気持ちは当時の私には全くといっていいほどなかった。
実際、会っても会話を楽しむでもなく暗い気分になるだけだったし、正直やることないし、いつも母のベッドの隣で本を読んでいた。

そんな状態だったのに、ある時、母が親戚の見舞客を捕まえて
「この子がこの病院の近くで毎日働いているから、それだけで私は安心なの」
と言っているのを聞いて、違和感と罪悪感を覚えた。
え、お母さんそんな風に思ってたの?
いやいや、たまたま職場が近かっただけですけど、何もしてませんけど…
たまにしか顔を出さない私を責めるどころか親戚に向かって誉めるなんて、なんだなんだ!?
私に罪悪感を抱かせようとしてわざとやってるのかなこのババアとも思ったけど、あれはおそらく子供の頃の私と母の立場が逆転した瞬間だったんだ。
あの頃は分からなかったけど、たぶんあの時、母は私に愛されようとしていたんだな。
もちろん、生存戦略として。

お互い様だな。可哀想な人だな。
でもまあ安心しなよ、お姉ちゃんはあなたの遺影をリビングに飾って、お花飾ったりお香を焚いたり、祭壇みたいにしてるよ。

でも私は絶対に無理。
あの人が死んでようやく自分らしく生きられるようになったと思っているのに、部屋に写真を飾って毎日あの人の視線を感じながら生活するなんて絶対に無理。

というのが、母を亡くして20年以上経った今の私の偽らざる気持ち。
また歳とったら変わるのかな。

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