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豊田駅北口、左に曲がるか右に曲がるか

 オンラインサロン「PLANETS CLUB」のイベント、雑誌『モノノメ』のオンライン読書会に参加したときのことだ。読書会の形式は事前に立候補したメンバーが記事の要約を行い、それを会の中で発表するというものだ。自分の担当分の発表を終えて、あとは他の発表者の要約を聞くだけ--そんなほっとした状態で「論考 湧出東京ー生きのびる土地」の要約発表が始まった。記事は東京の土地を「湧き水」という視点から捉えなおすという松田法子さんの論考である。手元の『モノノメ』を見ながら要約を聞いていると「豊田駅」という言葉が聞こえてきた。豊田駅って中央線の豊田駅のこと? あわてて記事の文章から文字を探す。確かにそこには「豊田駅」の文字があった。さらに続きを読むと、駅前を描写した文章から、それがどの店を指しているのか見当がつく。勤務先の最寄り駅が豊田駅で、週5日は通っている場所だからだ。

「湧出東京」の記事は前半部分と章立てぐらいしか読んでおらず、取材先に自分に縁のある王子や勤務地のある日野が取り上げられている程度の把握しかしていなかった。特に日野は京王線沿線の場所について書いている部分しか読んでおらず、そうかそっちに湧水があるんだぐらいの認識しかしていなかった。読書会の要約発表で「豊田駅」という言葉を聞くまで、自分が普段通っている場所が取り上げられているとは思いもよらなかった。しかも記事によると、駅からそんなに離れていない場所にあるように書かれている。地図で確認すると、湧水は職場とは反対の方向にあることがわかった。
 ここまで近いところにあるのなら足を運んでみようと思ったが、一方で休日にわざわざ勤務地に行くのも嫌(万に一つの偶然で職場の人に会う可能性もゼロではない(つまり面倒))という気持ちがせめぎ合い、なかなか実行に移せなかった。11月の中旬に午後半休を取る用事ができたので、そのあとに行ってみようと決めた。

 用事をすませて再び豊田駅北口に降りる。まずはイオンめがけてゆるい坂を上り直進する。イオン前のスクランブル交差点をいつもはここを左に曲がって通勤しているのだが、今日は右に曲がる。イオンを横目で見つつ道なりに歩いて行くと、住宅街から公園に景色が変わっていった。いよいよ目的地も近いぞと思い、さらに公園沿いを歩くが一向に小川らしきものが見えてこない。さすがにおかしいと思い、スマホからgooglemapを開くと、目的地はこの公園の下にあることを突きつけてきた。よくよく考えれば川なのだから、たとえ緩くても坂を登るのはおかしいと早い時点で気づくべきだった。自業自得とはいえ、自分の地図の読めなさに愕然とする。とにかくここから下に降りない限り、湧水と出会うことはできない。どこかに降りられる場所はないかと公園の中をうろうろと歩くこと数分。人ひとりがやっと通れるような土の坂道があるのを発見した。わりと急な傾斜で道の両脇を笹が覆っていた。仮にここで転んで倒れても、人通りがないのでしばらく発見されることはないだろうというような道だ。転ばないように慎重に道を下って目的地の黒川清流公園と思しき場所にようやくたどり着いた。

 平日の午後ということもあり、公園に人影はなく小川の流れが聞こえてくるのみ。とりあえず川の流れに沿っていけるところまでいってみようと思い歩き出した。少し意外だったのは小川が公園の奥ではなく、道路に近い場所に流れていたことだ。そして道路を隔てた反対側には公園と並行して住宅がずらりと並んでいた。これだけ住宅が並んでいると、大げさに写真を撮ってると不審がられるかもしれないと思い、住宅側にスマホを向けないよう気をつけながら公園の写真を撮る。

小川は狭くなったり、広くなったりとかたちを変えながら縦長の公園の中をサラサラと流れていく。そばにある住宅街は、川にとっては最近できたものに過ぎないのだろうななどと思い歩みを進める。公園は縦に長く、途中にある湧水の説明を読みながら歩く。

そうやって水辺に沿って歩いているうちに、目の前に土手のようなものが現れた。高さは土手の近くに立っている平家の屋根より少し高いぐらいだ。その土手のあたりで公園も終わりになっていた。そろそろ日も暮れ始めており、もと来た道を引き返そうかとその場で立ち止まった。けれど目の前のあの土手みたいなものは一体なんだろう? もう少し近くに行けばわかるかもと、再び土手に向かって歩き始めたとき、ガタンガタンと大きな音があたりに響きはじめ、轟音とともに土手の上を見慣れたモノが勢いよく横切って行った。

JR中央線快速。

目の前に現れた土手の正体は線路だったのだ。勢いよく走っていく中央線を見て、自分がどこを歩いてきたのか、ほんとうに理解することができた。ここは通勤で、もう何十年と車窓から眺めていた景色だったのだ。電車に乗って、このあたりを通るたびに「なんか住宅街の奥に森が続いてて、池があるな」と思っていた場所だ。読書会に参加しなければ、日常の風景の一部でしかなかったこの森についてググったり、ましてや行ってみようとなどと思うこともなかった。さらに公園の終わりまで歩かずに途中で引き返してしまっていたら、長年車窓から見ていた景色がここであることに気づかないまま、「こんな場所が身近にあったなんて!」とまるで初めてここを知ったように思ってしまっていただろう。

 歩き疲れたので、行きがけに見つけたカフェで休憩を取る。

お茶とケーキで一息つきながら「湧出東京」の日野の部分をあらためて読みなおす。

 主には鉄道駅を中心にして表皮に薄く広がっている「都市」の範囲だけを私たちは飛び飛びにスキップして暮らしているのかもしれない。

 「湧出東京ー生きのびる土地」 松田法子 『モノノメ 創刊号』所収

結果として、この文章を心から実感する湧水訪問になった。いつもの道を右に曲がり、知らない場所に出かけているつもりだったが、その場所はいつも通勤電車から眺めていた風景だった。いかに自分が限られた場所で飛び飛びにスキップして暮らしているか、点で場所をとらえてしまっているのかを痛感させられた。

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