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代表的日本人~上杉鷹山

1908年4月に出版された内村鑑三(1861年-1930年)著
代表的日本人を紹介します。

代表的日本人の原型Japan and The Japaneseは、
明治時代の日清戦争開戦時1894年に初版が出版された、
西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を紹介している本です。
本日は、上杉鷹山を紹介します。

上杉鷹山の出生は、江戸時代中期 - 後期
寛延4年7月20日(1751年9月9日)~文政5年3月11日(1822年4月2日)です。
10万人あまりの山形県米沢市の大名です。
仁政によって藩の復興を成し遂げた人物です。

上杉鷹山の有名な言葉は、
『成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり』
『してみせて 言って聞かせて させてみる』

できそうもないことでも、その気になってやり通せばできる、
やろうとすることは他人のためではなく、自分のためになるのです、ということです。

鷹山が行政に利用した東洋思想の一つの美点は、経済と道徳とを分けない考え方であります。
1.文武の修練は定めにしてしたがい怠りなく励むこと
2.民の父母となるを第一のつとめとすること
3.次の言葉を日夜忘れぬこと
贅沢なければ危険なし
施して浪費するなかれ
4.言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼、を犯さぬようつとめること。これを今後堅く守ることを約束する。もし怠るときには、ただちに神罰を下し、家運を永世にわたり消失されんことを。

封建制度の君主・鷹山の下にいる住人が土地を領有してその土地の人民を統治する社会・政治制度のロールモデルを作った。
行政改革、一汁一菜の食事を自らに課し、 質素倹約を10数年間にわたり負債を返済した。
富は徳の結果であり、民を愛するならば、富は当然もたらされると考えたのです。
「ゆえに賢者は木を考えて実をえる。小人は実を考えて実をえない。」

鷹山の産業改革の全体を通じて、とくにすぐれている点は、
産業革命の目的の中心に、家臣を有徳な人間に育てることを置いたところです。
快楽主義的な幸福感は、鷹山の考えに反していました。
富をえるのは、それによって皆「礼節を知る人」になるためでした。
「衣食足りて礼節を知る」といにしえの賢者も言っているからであります。
当時の慣習には全然こだわらず、鷹山は自己に天から託された民を、
大名も農夫も共に従わなければならない「人の道」に導こうと志しました。