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日本パソコンの歴史~ゲーム産業の発展に特に人材面で寄与した

私が初めて購入したPCは、
大学生になった1999年、
SonyのVAIO N505であったと記憶している。
Windows98マシーンであった。
こどもの頃にパソコンに未来を感じていたわけでもなく、
好奇心を駆り立てる知識もない若者でした。

今になって考えると、
このようなネットワーク時代になることは分かっていました。
なぜ、ネットワーク産業に事業の未来を感じなかったんだろう?と不思議に思うほどです。
時々、回りのひとにPC88やPC98、MSXを使っていたという強者に出会います。
昔のPCにどんな魅力があったのだろう?と思い、日本パソコンの歴史を調べました。

1.日本初のパソコン
日本初のパソコンは、1976年5月に東芝が発売したTLCS-12A EX-0です。
組み立てキットで基盤むき出しのLED表示が開祖です。
1980年にかけて、この時代はマイコン時代です。
BASIC言語でプログラミングをしてました。

その後、1979年9月にNECが発売した完成品パソコンのPC-8001がヒットしました。
廉価版のPC-6001も有名です。
日本発完成品パソコンは、1978年に日立が発売したベーシックマスターです。
このころは、メーカーごとに仕様がバラバラでホビーユーザーがゲームを設計して楽しんでいた時代です。

2.パソコンの統一規格MSXの野望
アスキーの社長であった西和彦氏は、マイクロソフトと共に統一規格を作った。
この時、ソフト流通大手のソフトバンク孫正義氏も関与していた。
MSXは、結局ホビー向けの一定層、累計400万台を1983年~19990年にかけて販売した。
しかし、身近なパソ校であったため、玩具のイメージがぬぐえず、NECのPC-88、PC-98よりも売れなかった。

3.8ビットホビーパソコン
1982年-1989年、NECのPC-8801、シャープのパソコンテレビX1、富士通のFM77AVの時代である。
CPU、グラフィック、音声のハード性能向上とともに、アプリソフトウェアのストック数がものを言った時代である。
擁するに、PC同士のアプリケーション互換が取れない時代であった。

4.16ビットパソコン
1985年-1998年、NECのPC-9801、シャープのX68000、富士通のFM TOWNSの時代である。
OS MS-DOS(NEC)、Human68K(シャープ)、TownsOS(富士通)を実装した時代。
IBM-PCにも採用されたBASICに変わるOSの時流に乗ったNECのPC-9801が1830万台ほどと販売をのばした。
シャープのX68000は20万台、富士通のFM TOWNSは50万台であった。

5.DOS/V、Windowsの登場
1984年にIBMが発売したPC/AT互換機でPCの互換性を取り始めた。
国内企業は、採用を見送ったが、1990年、日本IBMがOSのDOS/Vを発表した。
この互換性のあるPCが世界に普及したことで、日本のPCはガラパゴスとなった。
20万-30万円の国産PCに対して、
米コンパック社が1993年、DOS/Vを搭載した10万円台のPCを発売して雌雄を決した。
最終決定打となったのが、Windows OSである。
1993年、Windows3.1を発売。
まだ、OSがGUIの利便性がなかったが、
1995年、Windows95を発売。
GUIを備えたインターネット接続を簡易に利用できるようになり、
国産パソコンのシェアを奪われた。

1990年代からは、
ハード性能の勝負に付加価値がなくなっていた。
OSのシェア奪い合い、政府を巻き込んだ戦いであった。
日本はTRONがWindowsと戦おうとしたが、米国の国単位の戦いには勝てなかった。

日本パソコンの衰退は必然であり、防げることは至難の業であったと思う。
当時のパソコンブームが、日本のゲーム市場を形成、ソフトバンクを生んだことを考えると、
良き部分も多かったと懐古する。