長岡大花火1961
長岡大洪水
父の転勤で、福島県いわき地方から新潟県長岡市に越したのは年齢から逆算すると昭和36年春と思われる。
その年の6月か7月に台風の大雨で信濃川が増水し、支流の川が氾濫して大洪水が発生した。
学校からの帰り道、父が途中まで迎えに来ていた。自宅周辺は洪水で浸水、これから避難をするというのだ。
避難をする船が待っているところまで父は、私と妹を順番に背負って運んでくれた。父母や祖母、妹、近所の方たちと舟に乗って水から逃れた。
小柄な父の背中がこの時だけは頼もしく感じたのを覚えている。
越したばかりで、知り合いもない中、家族中でお世話になった家があった。残念ながら断片的に覚えているだけだが、停電して真っ暗だったことだけが不気味に記憶に残っている。
不安な一夜が明けて自宅に戻ると、水は引いていたが、泥が部屋の中まで入っていた。
幸い洪水になるのを予測した親たちは畳を二階に上げていた。
二階では愛猫「タマ」が無事でいてくれてホッとしたのを覚えている。
「タマ」(♀)はそのあと、入広瀬村や福島県昭和村までついて歩いて
昭和村で天寿を全うした。
そのあと父たちがどのようにして片づけをしたか覚えていないが、次に引っ越すまでの間、被災した官舎で過ごした。
長岡大花火
大洪水の傷跡も残っていたと思われるその年の8月。
家の近くの土手で大花火を見た。大きな花火が漆黒の空に上がり、輪を描き、さらさらと落ちていくのを見て、大人も子供も歓声を上げた。
思い返せば、あの時が初めて見た花火だったのかと思う。
それにしても昨夜の中継の長岡大花火2023は美しかったし、趣向が凝らされていて、テレビの中だったが見ごたえがあった。これでもかと言うくらいの圧巻だった。
技術的にも格段の向上だろう。
この季節になると、背負ってくれた父の背中や舟で避難したこと。避難させてもらった家の真っ暗な土間。土手で家族とみた長岡の大花火を思い出してしまう。
限りなく懐かしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?