ダメな人間…

皆さんこんにちは。

今日も、自然の法則についてお話させていただきます。

今日のテーマはこちら。「私はダメ人間」はすべて勘違い

ということで皆さんの中には、自分はこんなこともできない、こんなものも持っていない。

だからダメな人間だとか、過去にこんな罪を犯したから自分は罪人だとか、自分は人と比べてこんなとこが劣っている。

こういうところが欠けている人間だとか、自分のことをそのように思っている人はいませんでしょうか。

自分という存在が罪人とか、ダメ人間とか、欠けている人間と思うのは、100パーセント錯覚からくるものです。

知らず知らずのうちに、このような錯覚をしていることで、今までも、そしてこれからも、しなくていい苦労をたくさんすることになります。

この仕組みを、これからご紹介していきます。

まずは自分の存在、英語で言うと「Be」です。そして、自分のしたこと、これは「Do」です。

実は私たちは、最初の一歩である勘違いをしています。

自分のしたこと(Do)と、自分の存在(Be)をくっつけて考えてしまっているということです。

あたかも、自分のしたことが、自分の存在価値のように感じてしまうということです。

この存在「Be」と、したこと「Do」は、全くの別物です。

例えば私たちはつい、こんなミスをしてしまった、こんなこともできない。そういうことがあると、そんな私は罪人、ダメ人間、どこか欠けている欠落人間。自分という人間はそういう存在です、なぜならこういうことをしてしまったから。というように捉えがちです。

そうすると当然、そんな自分のことを、自虐、虐げるようになります。

自分のことを攻撃するようになります。

どうしてあんなミスをしたんだ。あの人はもっとできてるじゃないか。どうしてあのとき、こうしてあげられなかったんだ。そんな感じで自分を責めます。

そしてこのように、自分の存在を、罪人、ダメ人間、欠落人間といって、わざわざ一段も二段も三段も、下げたところから、もっとまともな人間になりたいと努力しようとします。

こんなことをしてしまった、こんなことをしてあげられなかったという、罪の意識が、自分は罪滅ぼしをしないと人並みに幸せになっていはいけないのじゃないか。自然とそんな風に思えてきます。

冒頭でお伝えしましたとおり、自分のことをダメ人間だと勘違いしていると、人生の中で、しなくてもいい苦労を、ずぅっとし続けることになる。とお話させていただきました。

自分の存在を、勝手に、罪人とか、ダメ人間とか、欠落人間と思ってしまうことで、ただでいい思いをしてはいけない、そんなに簡単に幸せになってはいけない人間だ。と勘違いしてしまいます

その人は、自分がただで幸せになってはいけないと思っているので、その人が一番欲しているのは、つらい出来事ということになります。

例えば、家庭の不和だったり。夫婦の不仲であったり。金銭トラブル。借金であったり。人から攻められたりいじめられたり。

頑張って努力をしても、いつもいとこでダメになったり。結婚したい気持ちがすごく強いのに、いい出会いに恵まれないとか。

ダイエットをしたいのに、いつも失敗してしまうとか。自分の子供が問題ばかり起こして、困らされるとか。

こういうことはすべて、表向きは自分が望んでいないようにみえても、心の底では、すべて望んでいること

なぜなら、そのような嫌な思いをたくさんすることが、その人にとって、罪滅ぼしになるからです。

私はこれだけ苦労したから。こんなに嫌な目にたくさんあってきたから、すこしくらいはいい思いしてもいいよね。ただでいい思いをするわけじゃないから。

私ってかわいそうでしょ。こんなにダメな私でも、ちょっとくらい好きなことやっても許されるよね。という感じです。

そしてこの努力というのは、自分がこんなミスをした、こんなこともできない、自分という人間は、ダメなやつなんだ。どこか欠けている存在なんだ、そんな感じで、自分を攻撃します。

そして、自分が存在価値のある人間になりたいと思って、一生懸命努力します。

努力した結果、できないことができるようになっても、この人の場合、それがこれからもずっとでき続けなければ、自分の存在価値はないと思っていますし。

何かができて、存在価値がある。ミスをしなくて、上手にできるから存在価値がある。って。思っていますので。

これからの人生もずぅっとミスをしてはいけない。ちゃんと出来なければいけない。という出来事をどんどん用意されて、自分がダメ人間にならないように、欠けている人間にならないように、ずっとおびえながら、努力を続けていくことになります。

この人は、自分のしたことと、自分の存在を勝手に結び付けているために、何かできないことがあるたびに、自分のことをダメ人間だと、一段も二段も勝手に下げて、そこから努力をして這い上がろうとする。これを一生繰り返していきます。

ということで、最初にお伝えしました通り、私たちは最初の第一歩のところで、大きな大きな勘違いをしているために、人生の中でしなくてもいい苦労をたくさんさせられることになります。

その勘違いというのが自分の存在と、自分のしたことを一緒にしてしまっているということです。

こんなことをしてしまった。こんなミスをしてしまった、こんなこともできない、こんなものも持っていない。あの人に迷惑をかけてしまった。それらは単に、反省したり、見直しをすればいいだけです。

それらを勝手に、自分は罪人、自分はダメ人間、自分は欠落人間と、勝手に結び付けてしまうのは、ただの勘違い。これらは、100パーセント、錯覚だということです。

では、これらは、いけないことなのか、といいますと。

自分のことをダメな存在なんだ。あれもできない、これもできない、そんな自分はダメな存在なんだ。そのように、行動と存在を一緒にしてしまって、錯覚しているんだと、分かりながら、努力をすればいいと思います。

そして自分は相手にこんなことをしてしまった。逆に、相手にこんなことをしてあげられなかった。だから私という存在は罪人です。

そのように、自分のやったことと存在を、一緒にしてしまってるんだ。そうやって錯覚していることを、分かりながら、人生踏んだり蹴ったりの罪滅ぼしをしていけばいいと思います。

たかが自分が、なにかできない、なにかミスをしてしまったということで、自分のことをわざわざ一段も二段も下げて、そこから努力や踏んだり蹴ったりの罪滅ぼしをしていくことが、実は錯覚だったんだ。その錯覚だということを、気付きながらやっていくと、だんだんとバカバカしくなってきます

そして次第に、日常生活の中で、人間関係のトラブルが少なくなり、自分のことを攻撃したり、人に対して愚痴をいうことがどんどん減っていくと思います。

なぜなら、人生の中で、たくさん嫌な思いをすることでの罪滅ぼしをする必要がなくなったから。この錯覚に気付くだけで、しなくてもいい苦労をわざわざすることが、なくなっていくと思います。

自分のしたこと(Do)と、自分の存在価値(Be)は、全く別もの。ということを、すこしづつ取り入れていくことで、これからの人生の中で起こる出来事が、確実に変わっていくと思います。

今回は以上です。


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