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なぜコーヒーが好きなのか。

コーヒー。恐らくこれから数年、あるいは数十年に渡って関わっていくことになるであろう黒くて紅い飲み物。

僕にとってコーヒーはとても身近にあった。
なぜか。それは幼い頃、僕の祖母は小さな喫茶店をやっていたから。
お店の名前は「田園」。喫茶店と言ってもお客さんは祖母の友人達だけで、お店というよりは祖母と仲のいい友人達がおしゃべりするための場所という表現の方が近かった。
そんなお店だったからか、幼い頃の僕はたまにそのお店に行き、そこでゲームしたりご飯を食べたりして過ごすことがあった。当然、コーヒーを飲む機会も。

月日は流れ、僕は社会人になっていた。
その頃には祖母のお店はとっくに閉店していたし、コーヒーはたまにペットボトルのアイスコーヒーを飲むくらい。好きでも嫌いでもなく、当時の僕にとってコーヒーはただの飲み物でしかなかった。

僕がコーヒーにのめり込むキッカケは高校時代の友人だった。彼は高校卒業後、バリスタを目指して専門学校へ進学していた。同時に彼はカフェでバイトをして己のスキルを高めていた。最初はその友人がバイトしているから行っていただけだったのだが、そのお店は友人以外のスタッフも個性豊かな方が多かった。スタッフさん達との話が弾み、気づけばお店の常連になっていた。

友人がいたお店はエスプレッソメニューがメインだった。普段はカフェラテばかり飲んでいたのだが、ある日スタッフさんにオススメされてハンドドリップ で淹れたコーヒーを飲むことになる。飲んだのは浅煎りのエチオピア。ナチュラルプロセスの豆だった。

それまで「コーヒー=苦い」という概念で生きてきたので、苦味が全くなく苺のような甘酸っぱさや華やかさに衝撃を受けた。
この浅煎りのコーヒーとの出会いが僕を底なしの沼へと沈めていった。

浅煎りのコーヒーにハマった僕はコーヒーの器具を一式揃えた。コーヒー豆を買い、手挽きのミルで挽き、自分で淹れて飲むようになったのだ。

最初は朝起きて仕事前に1杯だった。そのうち仕事前と夕食後の2杯。気づけば仕事前と帰宅後、夕食後の3杯になった。月日が経つにつれ、1日に飲む量が増えた。


コーヒーの沼にどんどん沈んでいった。ある時は日本未発売のコーヒー器具を海外から取り寄せたし、またある時はコーヒー屋を巡るために旅行もした。最終的には知り合いのお店をお手伝いするようになり、エスプレッソマシンと焙煎機を買った。ここまで来ると趣味の範疇を超えてしまい今に至る。

自宅でコーヒーを淹れるようになって感じた事がある。
それはコーヒーは飲んでいる時だけでなく、準備している時間すら心地よい時間になるという事だ。
お湯を沸かす。その間にコーヒー豆をミルでガリガリと砕く。ドリッパーとサーバーを用意する。この準備の時間すら楽しいし、ワクワクする有意義な時間だった。その想いはコーヒーを好きになったばかりの頃も今も変わらない。

これから僕はコーヒーを生業にする。
きっとコーヒーの良さ、楽しさ、奥深さに気づいていない人はたくさんいる。僕がそうであったようにコーヒーを通じて豊かな生活を提案できればいいなと思う。

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