見出し画像

「人生が想像どおりにいくほど、人の想像力は豊かではない」

小林賢太郎さんの新作「表現を仕事にするということ」
今日届いて、読み終えて、いまのうちに感想を書いておかないとと思い、キーボードに向かっている。

私に「後悔しないよう最大限のことをする」ということを教えてくれたのは賢太郎さんだ。
忘れもしない、4年前の2月29日KAATでの「うるう」の公演。ちょうどコロナの流行り始めのきざしがあった頃で、行くかどうか悩みに悩んで結局いかないと決めた。その日が賢太郎さんのパフォーマーとしての最後の一日だったことを後から知った日は心から後悔した(何回か書いた気がする…)しかたのないことだったのかもしれないけれども、ほんとにその決断をしたことが良いことだったのか、今でもわからないけれども、その延長線上に自分がいるのだから、まあ、よし。

そんな賢太郎さんの日常の思いを読み取ることができるのがこの一冊。(もちろん、すべてではないけれども…)

表現はこうするとよいなんて技術的なことが書いてあるのではない。書いてあるのは賢太郎さんがどんな思いで創作に、表現に臨んでいるのかということだ。

何度か描かれていたのが「『事実』の強さ」。事実というものには力がある。その力をどう使うか、どう使おうとするのかが肝要であるということ。わたしたちは「今日は風が強くて雨がふった日だった」という事実を知っている。それを「今日は花嵐の一日だった」と書けば、どの季節かわかるし、「今日は、花嵐で桜の花びらの絨毯ができていた」と書けば、ストーリーの一節になる。事実は力をもっている。とはいえ、事実の重さに押しつぶされないような表現を探したいといつも願っている。

さらに印象的だったのは、この本の中になんどか「弱っている賢太郎さん」が登場する。正確には、「弱っていない状態の賢太郎さんが見た『弱っている賢太郎さん』」だ。これ、けっこうしれっと書かれていたが、読んでいて、「いやいや、よくその状態の中で生活ができましたね?」というレベルの話しである。しかも、その状況自体はわたしたちのそばでも起こり得るものであるから、人ごととしては読めなかった。

どんな思いで書いたんだろうというところが多かったが、どれも、賢太郎さんの声で聞こえてくる、賢太郎さんの言葉だった。
「連休のおともにしようかな…」と思ったのだけれど、それを待ちきれなかった。久々に線を引きながら読みたくなった本であった。

余談。
表題のことばは、「Potsunen」の公演「ポツネン氏の奇妙で平凡な日々」で印象に残った言葉。
この言葉が画面に映し出された瞬間、ほんとにハッとした。私は「息を呑む」ということばをつかうとき、いつもこの瞬間を思い出す。YouTubeで見られるのでよかったらどうぞ。(この動画の広告収入は震災支援に使われます)

ちなみに蛇足の蛇足だが、自分に「よし」と言い聞かせるとき、蒼天航路のこのコマがいつも脳裏に浮かぶ。これくらい晴れ晴れと「よし」といいたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?