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知は「ひのきのぼう」を「はがねのつるぎ」にするのか?

タイトルだけ思い浮かんじゃった。
なので、今から書かれるのは断片で、最終的には「知は「ひのきのぼう」を「はがねのつるぎ」にするのか?〜あるいは「どうのつるぎ」まで」として完成形ができるにちがいない。(とはいえ、このnote群には、そうして断片のまま熟成されるのを待っている、あるいは腐っちゃったテヘッなものがたくさんあることは伏せておく。)

今日のは #書くことの練習 の一貫。テーマは、改行をあえて減らしてみること。

このnoteの中身を端的に言うと「若者すごいな」ってお話。

自分は、世代的にロスジェネの終わりがけ(いわゆる就職氷河期世代)だったので、しばらく職場で最年少だった(たぶん4年目か5年目くらいまで)。とはいえ、人の面倒を見るのが好きな長男気質であるため(?)、「早く後輩できないかなぁ…」なんて思っていた。

ただ、そう思えたのは、すてきな先輩方がたくさんいたからだと今ならわかる。例えて言うならば、こっそり「ひのきのぼう」を「こんぼう」に変えてくれていたり、その武器の使い方をアドバイスしてもらったり。

そう、「やりたいことをやらせてもらった」というのは大きかったと思う。いろいろ学んで、それをやってみたり、「先輩、どう思いますか?」なんて話したりして(←それができたのは大きい)自分のものにしてきたと思う。今になって思うのは、広い意味での戦うすべ(武器の磨き方とか、防御スキルの身につけ方とか)を教わっていた。

人というのはこわい(?)もので、自分が学んだように体験したようにしか、伝えられないと思う。

わたしから見ると、若い人たちは、挑戦したいとか、やってみたいと思う好奇心がすごいし、知識量も半端ない。当時の自分の武器が「ひのきのぼう」だったのに、彼らはすでに「くさりがま」を持っている。(このへんのたとえは、ドラクエ3 武器 で検索ください)

なので、基本スタンスは「見守る」である。(最近も「また」、「見守る」を捨てて、先払い(したにーしたに!って言う人ね)をして、痛い目にあった。)

自分を育ててくれたまんがの一つに、高橋しんさんの「いいひと」がある。
このお話のなかで、こんなシーンがある。

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(Kindleになっているんだね。いい時代になったね…でもたぶん、全巻セットで買っても中古ならそんなに高くないかも…)

このお話の登場人物たちみたいな生き方をしたいなー、と高3のときから思っていて、かれこれ20年近く。まだまだ足元にも及んでない気がするけれど、今日改めてそう思った。

ここまで読んでくれて、思考の整理につきあってくれて、ありがとうございます。

さて、本題に戻るよ

結論として、知を伝えることだけでは、ひのきのぼうはどうのつるぎにならない。

なぜならば、その使い方、活かし方、成長させ方などなどそれに関わる周辺知識がないまま与えられた武器は、錆びちゃうから…。そして、受け取る側に準備がないのに「渡したから使ってね」はあまりに乱暴すぎる…。ともに準備し、ともに使い、ともに活かしていけばいい。たとえ、そのとき私はまだ「どうのつるぎ」しか持っていなくても、できることはたくさんあるということを忘れてはいけない。

これからもわたしは「どうのつるぎ」のまま(ときに、「はがねのハリセン」に持ち替えることはあるけれど…)見守りを続けていこう。わたしの見守る場所は高い塔ではない。あくまでも地上を見守り続ける。

このスタンスでいいのかは、時々見直しが必要だろうけれど…💦

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