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極東のワーニャ伯父さん

チェーホフの『ワーニャ伯父さん』は、映画『ドライブ・マイ・カー』を見て初めて読んだ。そして、ワーニャ伯父さんが自分と同じ47歳だと知った。そこから、ワーニャが他人とは思えないようになっている。
いわゆる「中年の危機」というのだろうか。
とにかく焦っている。焦燥感が強い。
家庭、夫婦関係、子育て、サラリーマンとしての仕事、それらに問題が無いとは言わないが、それでも致命的な問題はない。平和な日本に生きていて、客観的には、幸福な状況にあるはずなのだ。
それなのに焦る。運転が下手くそなドライバーに激しく苛々する。
すべて親のせいにするような年齢ではない。あるいは、今ならすべて新型コロナウイルスのせいにすればいいかもしれない。
でも、それは違う。
中年の危機、、、更年期障害の一種かもしれないとも思う。しかし、それは測定可能なのか。病院に行けばいいのか。どこの病院に行けばいいのだろうか。
病院と言えば、今、咳喘息という診断で数年来、呼吸器内科に通っている。フルティフォームという吸入薬を続けている。それ以前は、季節の変わり目によく副鼻腔炎になり、耳鼻咽喉科に通っていた。フルティフォームを吸入するようになってから、副鼻腔炎は軽減した。その辺りの理屈がよくわからない。つまり、何が言いたいかと言うと、医者もよくわからないのである。はっきり言えば、信用できる医者が不在。だから、更年期障害なのか、あるいはメンタルヘルスの問題だろうか、と思っても、医者に当たる気になれないのだ。めんどくさい。
この「めんどくさい」というのも、キーワードになる。何でもめんどくさいと感じるのだ。と言いつつ、サラリーマンとしての仕事はこなしているし、こうやって新しくnoteを始めたりしている。自己認識と行動の矛盾。
とここまでひたすら自分のことばかりを書いてきた。それが良くないのかもしれない。妻、子どもを初めとする家族、職場の同僚、上司、部下、街をさまようワンダリングピープルに対して好奇心をもって観察すればいいかもしれない。そうすることで、自己の問題が薄まって幾分、お気楽になれるのではないだろうか。
47歳にもなって自己実現というわけでもあるまい。とはいえ、カーネル・サンダースやレイモンド・チャンドラーを見れば、まだまだ若造である。上記に書いたような色々がごちゃ混ぜになった初期衝動でnoteに書く、というアクションを始めてみるのもいいのではないか。
そういう現状である。

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