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山口七夕ちょうちんまつりの秘密

 8月6日と7日に山口市の中央商店街開かれる七夕まつりは提灯を飾ることを特徴とするところから「山口七夕ちょうちんまつり」といわれます。 人口20万人の山口市で20万人が集まる山口市最大の祭りです。 総数3万個といわれる提灯はメイン会場の中央商店街のほかに交通交流広場、亀山公園、旧国道を埋めイベントが開かれます。 中央商店街とは中市商店街、米屋町商店街、道場門前商店街を指し700メートルが提灯のトンネルになります。

 「ちょうちんまつり」は室町時代に周防・長門・豊前守護の大内盛見が父母の冥福を祈り笹竹の高灯籠を掲げて盂蘭盆会の迎え火としたのを町民が真似たのが始まりとされています。

 時系列からいうと山口市で日本最初のクリスマスミサが開かれる前の話となります。

 まつりは盛衰を繰り返し定着したのは戦後復興の1950年からことらしいです。 

 ただし、仙台七夕を真似た吊るし飾りも多く、ちょうちんに絞ったのは21世紀になってからです。

 このお祭りは大小様々な秘密があります。
 例えば、この提灯の優しい色は全てろうそくの炎によるものです。

 全ての提灯に手で火をつけるのですが、商店街だけでおおむね1万5千本のろうそくの灯りに包まれることになります。

 8月6日7日の2日のためだけに商店街に施されているのがこの「穴」です。 普段は蓋がされていたりしますが、この時期に活躍します。

 提灯を下げた竹をこの穴に刺して立てるのです。

 駅通り商店街には違う提灯もかかっています。 愛宕神社とありますが、地元では「愛宕さん」と呼ばれる祠です。 愛宕さんは江戸初期の大火を受けて勧進されたもので火伏の神とされています。 火祭りに火伏の神も祀られているのをしってるのは20万人の参加者の中でも限られます。

 さて、大内時代にちょうちんまつりが可能だっかといえば、ろうそくは最先端の照明器具で貴重品だったので無理です。 大内氏であれば可能だったかもしれませんが町民は「行灯」を使っていました。 行灯とはもともと燭台ではなくろうそく以前の外出用の灯りでした。
 江戸期でもろうそくを点けたままにすると𠮟責されていますし、ろうそくのリサイクルもされていました。 正直なところ、ちょうちんまつりが始まったのは安価な西洋ろうそくが一般化した明治以降のことと思われ、現在の祭日が定められたのは1910年です。 ただし、ちょうちん点灯は8月7日に限られていたようです。

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