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[短編小説] 美しい本同好会

 ぼくの乗った路面電車が、雨の街を走り抜けていく。冷たい雨粒が容赦なく車窓を打ちつけている。ぼくは傘を持って出なかったことを、すこし後悔していた。
 友人との待ち合わせは喫茶店。商店街にあるから、路面電車から下りてまっすぐアーケードに入ればそんなに濡れることはないだろう。しかし、バッグの選択を間違えた。開口部がしっかり閉じられるものを選ぶべきだったのに、簡易的な麻布のバッグで来てしまった。
 街の往来は突然の雨に戸惑う人ばかり。車のクラクションですら妙にそわそわしい。目的地の停留所で下りて、バッグを身体の前方に抱える。雨に濡らさないよう屈み気味でアーケードへと急ぐ。雨はちょうど小康状態になったこともあって、大して濡れなかった。喫茶店の前でほっと一息をつく。
 蔦の彫刻が施された重厚な木の扉を押し開けると、ドアベルの音が店内に鳴り響いた。白シャツに黒の蝶ネクタイをした白髪白髭のマスターがぼくに目配せをする。約束の友人は奥のボックス席に陣取っているようだ。
「早かったね。」
ぼくは友人の顔を見つけるなり、そう言った。
「早めに来て、そこの古書店で手に入れた本を読んでたんだ。」
 おかわりをしたのか、まだ湯気の立っている珈琲を一口含んで彼は言った。
「例の本は?」

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