優雅な挨拶 (1)

 春もそろそろと終わる頃、ぼくは近所の川べりを歩いていた。暖かいを通り越して、すこし暑い。じわりと汗ばんでいる。白いカッターシャツのいちばん上のボタンをとめて家を出たけど、さすがに外した。途端、さわやかな風が入ってくる。
 片手には最近下ろしたばかりの手帳。表紙の革が、まだ手のひらになじんでいない。紺色の万年筆はシャツのポケットに。こちらはもう長く使っている。
 自作の詩を書き込む手帳も、これで19冊目を数える。最初の頃は、失敗作も多かった。取るに足らない作品が出来たと思ったら、次の瞬間にこれはこれで自分の等身大なのだと割り切れたりもする。
 家に引きこもって書いたところで、過去作の焼き直しにしかならないような気がして、最近は出かけることが多くなった。橋の下、森の中、丘の上、空の下。ぼくが出向くところはどこでも書斎になる。
 隣町の詩作仲間が、ガリ版で作った同人誌を送ってくれた。ぼくの詩もいくつか掲載してくれている。夢をモチーフにした連作。まずまずの出来じゃないかしら。いつかは活版印刷で、自分の詩集を出したいよな。仲間たちとそんな感想を送り合って、まずは同人誌の完成を喜びあった。
 ぼくが詩を書くきっかけは何だったろう。実ははっきりとは覚えていない。学校の先生が萩原朔太郎の詩集「青猫」を貸してくれたのだったか。あの黄色い表紙は妙に印象深かった。いつしか、思いついた言葉を書き残すようになった。最初は断片的に。そうこうしているうちに、文脈が生まれた。それはいくつかのまとまりになり、ひとつの作品になった。
 詩を書いていることは、誰にも秘密だった。クラスメイトの一部で流行っていたから、それと同じに見られるのがいやだった。奴らの書くものと言ったら、星がきれいだの海はおおきいだの、童謡の文句と大して変わらない。そんなものを詩と呼んでくれるな。そういう不満があったから、なおさらだ。案の定、あの頃のクラスメイトで詩作を続けている人間はひとりも居ない。
 詩人として食べていきたいと考えることもあるが、狭き門なのは百も承知だ。今は、図書館の司書として働きながら詩を書いている。本ずきなぼくが、この仕事に就けたのはただただ幸運だった。
 ぼくの住んでいるところは田舎町とはいえ、都会の避暑地として機能している。図書館だけでなく、本屋、貸本屋、古本屋、コンサートホールにダンスホールまである。カフェーやレストランの建物も洋風な造りで、女中ではなく洋装の青年が給仕してくれる。やはり乱立している瀟洒なホテルには、外国人観光客も多く宿泊している。街を歩いていると、至るところから英語やフランス語、イタリア語が聞こえてくる。
 そんな場所だからか、図書館には洋書なども置いてある。ポードレールやコクトー、ランボーにヴェルレーヌなどの詩集がある。ぼくは外国語をしゃべれないけど、辞書を片手に翻訳しながら読んだりしている。

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