見出し画像

「BEZEL CONTEMPORARY JEWELRY」展評:可能性に誠実であること

2023年8月18日から9月3日まで横浜の BankART KAIKO で行われた「BEZEL CONTEMPORARY JEWELRY」展は企画者の配慮が随所にしのばれる好企画だった。5名の作家やデザイナーによって構成された「コンテンポラリー・ジュエリーの魅力と可能性を探るグループ展」と銘打たれたこの展覧会はどのようなものだったか。

■空間構成について

ジュエリーは1点1点が小さいため広い空間で展示するのはむずかしい。作家や作品の数を増やす、オブジェなどの大型作品を用意する、什器をうまく使うなど、至るところに工夫を凝らし、会場ががらんとして見えないようにする必要がある。

会場の BankART KAIKO は、商業施設の一画にある広々とした白壁のギャラリースペースで、その面積は約620平方メートル。本来ならそれを5名のジュエリー作家で埋めるのは相当チャレンジングだ。本展ではそれを乗り越えられる作家が選ばれていた。さらに各作家の仕事をしっかりと見せることでジュエリーという表現媒体そのものの奥行を感じさせようとする意図が見て取れた。

本展はさらに、展示エリアとショップエリアという2つの領域設定がなされており、そこにも工夫が見られた。ひとつは両エリアを壁などで区切らず地続きにしていたこと。もうひとつは、ショップエリアの什器を展示エリアの同色の白に統一して視覚的な一体感を保っていたこと。さらにショップエリアの方は、個々の円卓の上にたくさん並べて賑々しさを出すことで密度の点でも展示エリアとのコントラストがうまくつけられていた。

会場を入って右手、丸テーブルが並んでいるのがショップエリア(写真手前)。撮影:筆者

■作家/デザイナーとその作品について

前項で触れたとおり、ジュエリー展で広い空間はそれだけでチャレンジングだ。今回はグループ展とはいえ、割り当てられた面積からして各作家は小さい個展と同程度の規模感で臨む必要があったはずだ。また、展示エリアとショップエリアのすみ分けという本展に固有の課題もあった。各作家がそれにどう取り組んだか、入り口に近いところから順に見ていく。

● 本多沙映
会場に足を踏み入れると、本多沙映によるインスタレーションが待つ。ひょっとすると、ジュエリー展でインスタレーションというだけで面喰った来場者もいるかもしれない。出品作の《Tears of the Manmade》は、職人による質の高い硝子真珠づくりの技術に焦点を当てたプロジェクトで、2021年に初披露された。今回は新しい試みとしてBARTLE publishing とのコラボレーションによる「伊勢地方に伝わる民話をベースにした養殖真珠とフェイクパールにまつわるセミフィクションのおとぎ話のテキスト」(注1)が導入されており、本展のインスタレーションは、そのテキストと、合成真珠の生成プロセスのサンプル、写真で構成されていた。

そこには、《Everybody Needs a Rock》(2016-) や《Anthropophyta / 人工植物門》(2020-) などでも見られる、時にフィクショナルなイマジネーションあふれる介入によって人工と自然の境目をぼかすという、この作家に固有の手つきを見て取ることができる。コスチュームジュエリーで一世を風靡したシャネルの例を持ち出すまでもなく、ジュエリーにとり、人工/模造と天然の関係は永遠のテーマだと言ってもいい。それを題材にしたコンテンポラリージュエリー作品も多いが、本多のようにアーティスティックな発想を産業の枠内に持ち込むケースは少ない。

ショップエリアには、実際の硝子真珠を使ったジュエリーと、本プロジェクトの出版物が並べられた。展示エリアとショップエリアを単一プロジェクトがまたぐ形を採っていたのは本多だけだった。

本多沙映《Tears of the Manmade》。インスタレーション風景。撮影:筆者
本多沙映《Tears of the Manmade》。硝子真珠の生成過程。撮影:筆者


● adachiyukari.
その奥には、足立友香梨による adachiyukari. の作品が並ぶ。足立は、緻密な計算に基づく構造や幾何形体を特徴とする、主に貴金属のジュエリーを得意とし、身につけると人体の上に文章記号や句読点を打ったかのような記号的で知的な印象を作りあげる。

また、長文による語りではなく、短文やキーワード、図表を効果的に使い、デザイン性の高いグラフィックとビジュアルで自身のジュエリー観も一緒に提示するというやり方は、足立のユニークな点である。

先ほど私は、足立の作品がつくる印象を文章記号になぞらえたが、こうしたグラフィックやウェブサイトの随所に、そういった記号がイラスト的に散りばめられているところからすると、文章記号は足立にとり、何か本質的な要素なのかもしれない。

出品者中、展示エリアとショップエリアに並ぶものがもっともシームレスだったのが足立だった。だが、展示エリアの方は展示台の1つひとつに「道具」「object」「視覚」といったテーマを設定し、展示台それ自体を個々の作品のように見せ、なおかつ制作の過程も展示に盛り込んでいたところに両エリアの対比が見られた。

足立はこれまでも、先に述べたようなグラフィック等により、作品とともに思考の過程を開示することをしてきた。今回はそこに、工具や加工途中の金属素材も加えて物理的工程も開示することで、展示という行為もまた作品であり制作の実践であるという態度を、よりいっそう明確に打ち出していた。

adachiyukari. による 「道具」と題された円卓のディスプレイ。撮影:筆者


● shikafuco
会場の中心には shikafuco(シカフコ)による、壁掛けや宙づり、平置きのオブジェが並んだ。本展ではこの作家の大ぶりな作品群が中央に据えられることで会場の空間全体に軸ができ、さらには、一部のダークトーンの作品が全体を引きしめるような効果もあった。

フリンジや反復する形状などの装飾的な要素や、どこか人体を思わせる造形のためか、あるいは単にジュエリー展というコンテクストのためか、 shikafuco の作品は、身につけることができないものであっても、装身具(この作家の作品にはジュエリーよりも装身具という呼称の方が似合う)や身体性を想起させる。ダイナミックで力強い造形と偏執狂的といえるほどの細かい細工との対比が印象的だった。

shikafuco の作品は、ジュエリーを思わせつつ必ずしもそうではない、という点では、コンテンポラリージュエリーで見られる「ジュエリーを題材にしたジュエリー」という文脈に位置づけられなくもない。ただし、そういった「ジュエリーを題材にしたジュエリー」はジュエリーの性質を語るものであったり、ジュエリーの概念を押し広げようとするものが多いのに対し、shikafuco 作品はあくまで装身具を想起させるにとどまっている。

ショップエリアには実際に装着できる首飾りや耳飾りが並んだ。首飾りは、首に巻き付けるか結ぶかしてつけるラリエット方式と思しきものと、白い土で作られた祭具や呪具めいた造形を麻のような紐に通したものの二通りがあり、後者は首飾りというより下げ飾りと呼ぶ方がしっくりくる。どちらも、何か装身具でないものが、人の手を介して装身具へと化す瞬間を内包しているように見えなくもない。

耳飾りに市販の金具が使われていたのが残念ではあるが、自分で金属加工をしない作家の場合、ほかの誰かに頼まざるを得ず、そうするとなかなか望み通りにできなかったり、コストが跳ね上がったりするので頭の痛い問題であることはよくわかる。

shikafuco. による作品群。撮影:筆者

● 田添かおり
展示エリアと販売エリアの作品とでもっとも違いが強く出ていたのが、本展のキュレーターでもある現代美術家の田添かおりによる作品だ。

展示エリアに設置された《Garden Fence-Ball Chain Object》は、庭や公園にあるような柵の構造をボールチェーンで置き換え、柵の役目を果たすうえでは必要のないひと垂らしを付け加えて、ジュエリーや装飾のイメージをまとわせている。また《猫にプレスされたリング》は、たくさんの押し潰した指輪が並ぶ。指輪はふつう、よほど繊細なものでないかぎり猫に踏まれたぐらいでつぶれたり歪んだりしない。ジュエリーに日常の風景を溶け込ませてオブジェクトや空間を作り出し、そこにスパイスとして少しの虚構を効かせるのがこの作家の持ち味らしい。その混ざり具合は混然一体としていて曖昧だ。それをどう解釈するかは見る人しだいだろう。

他方、販売エリアに並んだ Small Factory Ring 名義の仕事に曖昧なところはない。これは田添が町工場との連係で展開しているもので、工場の技術が採り入れられている。代表的なものには、ネジ固定式のヘッド部分を付け替えて楽しめる指輪がある。リングの台座やヘッドのバリエーションが並ぶ様子は見るからに楽しげだ。判断や選択をつける人/買う人にゆだねるところは、解釈を鑑賞者に任せる展示エリアの作品と相通じるところがあると言ってもよいかもしれない。

田添かおり《Garden Fence-Ball Chain Object》。撮影:筆者
田添かおりが展開する Small Factory Ring のパーツ群。撮影:筆者

● 小川直子
小川直子は展示エリアに《Jewelry Hunting》を出品した。これは、2011年から形を変えながら継続的に行われているプロジェクトで、身体や服に落ちる光をジュエリーに見立てるというものだ。「ハンター」は光のジュエリーを体験した日時や場所を記録する。その情報を見た誰かも、運良く条件がそろえばハンターが捕獲した光のジュエリーを追体験することができる。

本展では18名のハンターによる光のジュエリーの写真とその詳細を書いたカードが並んだ。私もハンターのひとりとして参加させてもらい、忘れがたい体験をした。あるジュエリーをどこにつけるかは普通、その形によって規定されている。だが光のジュエリーはどこにどうつけるか自分で決めなければならない。自由に伴う心もとなさをジュエリーを通じて体感できた、稀有なひとときだった。

このプロジェクトは誰でも参加できる。光が織りなす束の間の「ジュエリー」を見つけたら、あなたもまとってみるといい。そうして撮影した写真に #jewelryhuntingproject をつけ Instagram に投稿すれば、ハンターとして光のジュエリーを広く共有できる。展示エリアには、2022年に刊行された同プロジェクトのブックも設置された。ここには小川の長年の取り組みであるこの光のジュエリーに、フェミニズムの視座が新たに持ち込まれている。

ショップエリアには、これまで小川が展開してきた《drawing》シリーズのネックレスが陳列された。地金のみのものもあれば、パールや石を使ったものもある。いずれのネックレスも、一見すると不安定なようで実は絶妙な均衡が軽い錯覚のような視覚効果をつくり、人体の上に緊張感と遊び心のあるラインを描きだす。

小川直子《Jewelry Hunting - Collective》展示風景。撮影:筆者

■本展が示すコンテンポラリージュエリーの現在地

本展では芸術性と実用性をめぐる各作家のゆらぎが、展示エリアとショップエリアというふたつの空間の扱いに端的に表れていた。それはある程度、コンテンポラリージュエリーというカテゴリそのものを縮図している(注2)。

小川直子や田添かおりのように、ふたつの間で違う色を打ち出す作り手もいる。そのやり方にも、小川が単独で制作し、田添が工場と連係したように、一人ひとりの個性が出る。また、shikafuco のように同じ作風を貫きながらスケールや形式で実用に沿わせる作り手もいる。本多沙映は芸術性と実用性、芸術と産業との関係性を撹乱するような手つきが特徴的だ。

足立はアーティストや作家を名乗らず、ジュエリーデザイナー / 制作者という肩書を用い、コンセプトを重視して普段使いしやすいジュエリーを主に貴金属で作る。現在のコンテンポラリージュエリーにおいて、こうした作り手はある程度の大きさの一画を占めている。ファインアートとしてのジュエリーを標榜する、いうなれば古典的なコンテンポラリージュエリーとこういったジュエリーを同一視することはできないかもしれない。また、素材の面でも造形の面でも、できる冒険が限られるだけに似通ったものができやすく突出するのは容易ではない。だが、こうしたジュエリーの中には時に、一見すると控えめながら、実はラディカルな表現が潜んでいることも忘れてはならない。

五名五様の取り組みからは、コンテンポラリージュエリーの現場では、芸術性と実用性、ひいては芸術性と商業性の関係は、対立関係にあるのではなく分かちがたく複雑に絡み合っていることを読み取ることができる。

■可能性に向き合うということ

冒頭でも触れたとおり、本展のステートメントにはコンテンポラリージュエリーの「魅力と可能性を探る」とある。「可能性」や「既成概念を破る」といった言葉は、私たち「中の人」が外に向けてコンテンポラリージュエリーを知ってもらおうとする際にしばしば使う言葉だ。

では、こういった言葉に託されているのが常に、今現在の可能性や、現在進行形で行われている既成概念の打ち破りかというと、そうとは言えない気がする。私たちはよく、自分たちがコンテンポラリージュエリーに出会ったときの驚きや感動を根拠のないお墨付きにして、コンテンポラリージュエリーがおもしろく意義のあるものだと周囲に伝え、かつての自分たちと同じように感じてほしいと期待し切望し、時に過信する。

しかし、それを下支えしているのは、ずっと昔にエスタブリッシュされた、自分たちがすっかり安心しきっている価値観だったりはしないだろうか。そこには驕りがないか。自己陶酔がないか。そういうのをいっしょくたにして可能性という言葉に押し付け、見てくれる人をなめてかかっていないか。私はそうだった。いや、こんな文章を書いているくらいなのだから、きっと今だって大いにそうだ。

私たちが可能性という言葉を持ち出すときにしなければならないのは、自分たちがかつて味わった感動の再演で客寄せしようとすることではない。自分たちを突き動かした価値観そのものを疑い、検証し、壊していこうとする取り組みだ。現在進行形の可能性というものは、生々しく不定形で、やっている本人たちですら不安になってくるようなもので、時がたってようやくその意味や良し悪しがわかるものであるはずなのだから。そうでなければそれは、かつて可能性だった既成概念にすぎない。

本展はそうした既成概念を引き継ぎながら、現代の社会の中にコンテンポラリージュエリーを着地させようとする意志が随所に感じられた。いまから5年後、10年後、あるいはもっと先、この展覧会がどのように評価されるのかはわからないし、見た人の中には、わかりにくさや曖昧さを感じた人もいるだろう。だが、そのわかりにくさや曖昧さのぶんだけ真摯にコンテンポラリージュエリーの今とその可能性に向き合った、誠実な展覧会だったと思う。

注:
1. 作家の Instagram の投稿(2023年8月20日付)より抜粋。
2. 言うまでもなく、コンテンポラリージュエリーのあらゆる実践を、本展の5名の作家のいずれかと同じ系譜に振り分けられるというものでもない。例えば、技法に重きを置く工芸色の強い作家は本展に含まれていない。

■展覧会詳細
BankART KAIKO Pop-up Store Vol.2:BEZEL Contemporary Jewelry
会期 2023年8月18日[金]〜9月3日[日]
時間 11:00~19:00 ※最終日は ~17:00
会場 BankART KAIKO(横浜市中区北仲通5-57-2KITANAKA BRICK & WHITE 1F)
主催:BankART1929
企画:BEZEL Contemporary Jewelry 展実行委員会

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?