インプットとアウトプット


作家活動をしていると逃れられないこの2つについて私のお話を少し。

私は元々、鬱屈した気持ちを原動力に作品を作っていました。
小説や絵、最近では写真もそうです。
作っていく過程で自分の気持ちが整理され、完成する頃には問題もなんだかんだ解決していました。
私にとって「考えること」と「作品作り」はセットでした。
気もそぞろになるんじゃないかと思われるかもしれないが、己で完結する「小説の執筆」「水彩画を描く」「セルフポートレートを撮る」にはあまり支障がないのです。

逆を言うと、人を介在する何か、は結構労力が必要になる。
ちなみに、これに気付いたのは2022年の頭頃と、かなり最近。
なぜ最近気付いたかと言うと、持病の悪化によるものでした。

2022年より前も被写体活動や展示に参加していたけれど、それほどまでに負担にならなかったのは、前の方が健康だった(より具体的に言うと薬が少なかった)からである。
悩みも時間が解決してくれるものがほとんどで、悩みはしていてもやっぱり時間で解決されていました。

鬱のお薬はざっくり言うと「頭をぽやぽやさせる薬」です。
考えをまとめることも、やりたいことを考えるのもスケジュール管理も、やりたいこともやらなきゃ行けないことも、上手く組み立てられなくなります。
そんなぽやぽやした頭をフル回転させて毎日生きているのが私です。
お休みしてくださいと言われても何かしらやってしまいます。
生き急いでいるのか貧乏性なのから兎に角「何もしない」が出来ない。

そのぽやぽやした頭で

小説を読むと、内容が頭に入ってこない。
理解できない。
テレビを見ても、それはBGMになる。
漫画は手軽だけど、絵しか見ていない。
音楽は右から左へ流れていく。
ご飯を食べても、栄養補給という気持ち。

要するに、正直楽しくないのだ。

アウトプットのために

感情で考えず、冷静に言葉を選び、分かるように話す。
頭の中のぼんやりしたものを形にしていく。
目をつぶりながら陶芸をしている気持ち(例え的にあっているのかは微妙)。
感覚的なもの。


感覚的な受信能力を低くした状態でインプットしたものを、何倍の労力を使ってアウトプットしていく。

薬、いらなくない?

と、常々思う。
ない場合、私の生活は瓦解する。
でも薬の効力に抗って生きるのは、どんな立場であってもしんどい。

一定のクオリティを継続するのは、大変。
あー薬飲んでてもアクティブで元気でいたい。

散漫な文章を読んで頂きありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?