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スランプ(どちらかと言うと自信喪失)

情熱や勢いが収束してしまっている時。
私の場合は女性特有のアレであったり、天気のせいだったり、自分が思うように物事を進められていない時。

そういう時、自分の周りを過剰に気にしてしまう。
見なきゃいいのにSNSを何度も開いたり、自分の過去一だった出来事と比べたり。

意味の無いことをしてしまう。自分を保つために。

自分だけ評価されない。または正当に評価されていないと思い込んでしまう。

ある程度は時間が解決してくれるけど、1番の薬は「やりたい事を欲望に従ってやる」ってことで。

私の場合は、作品の作り込みをひたすら考えるとか、動いてるのを動画で撮ってみるとか、無茶な体制で写真撮ってみるとか。
典型的なアートホリック人間なのでそういうことでしか発散できない。

真面目にアートの話をしてくれる人を捕まえて愚痴ったりもする。

話をすることの大切さ

私は基本的にお喋りで、思考量が結構多い。
そして基本的には「心の調子が悪い」か「身体の調子が悪い」日々を過ごしている。

身体は休むしかない。寝る、食べる。
前者の時は人と話すことで回復することが多い。

「なんで上手くいかないの〜!?」 

と半泣きで暴れた事も何度もある(本当に迷惑かけるからやめたい)。
まくし立てるように喋ったり、問い詰めるように喋ってしまったり。
本当に人間としてどうなのかと思いつつも、真面目に向き合って話してくれる人が、私の周りにはいっぱいいる。
とても助けられています。

2022年、GWに開催されたNorth Photo Session とhiddentracksに参加した時、展示や写真について人と話したりして、荒んだ心が回復したのを感じた。

やりたい事をやるために働く。
やりたい事のために健康でいる。
やりたい事見つけるために交流する。
やりたい事が見つかったらやってみる。

しかしやりたい事をしたからとて自己肯定感が爆上がりすることはなかった(なんかむしろ低下した)(周りがすごすぎた)。
そう感じるのは今私の「心の調子」が悪いからだと理解はしている。

行動に伴って自己肯定感や充実感が絶対に付随するわけじゃないと気付いた。


散漫な文章になりました。

なんか、私は今回の展示を通して「自分を示したい」んだろうなぁと思った。

難しい。
どうして1番真実を写す写真を手段に選んだのか。
ぼんやり悩んでそれでも撮ってる。
そしてやっぱり、文章は楽しいなって思って。

私に残っていくのはきっとお気に入りなのだろうなとおもう。

hiddentracks 出展写真より

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