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「この、悪意に満ちた生きにくい世の中を」君たちはどう生きるか

いわずと知れた、宮﨑駿監督の最新作、「君たちはどう生きるか」の、私的感想を、忘備録として書き残しておこうと思う。ねたばれあるかも。

とにかく、見ごたえがあった。
そして、1度では理解できなかった。
ここに記すのはしばらく期間をあけて、2度目を見ての感想である。
あくまでも私的感想であり、事実関係や参考文献などはまったく拝見していないので、見当違いなことを書いていてもご容赦いただきたい。
とにかく、この感動を、すぐに文字にしておきたかった。


1.テーマは「世界」とか「宇宙」とか「はじまり」とか「おわり」とか

とても仏教的な世界観だと感じたのは、この物語が「輪廻転生」や「天国・地獄・現世」だったから。

もっと大きく言えば「宇宙」も絡んでいるんだけど、すべてをひっくるめて「量子力学」的な要素を感じた。

とはいえ、難しいことは私にはわからないし、この感覚を文字にすることは困難なのでおいておく。

とにかく、この物語の中で中心になっているのは「真人」と「大叔父」なわけだが、これは、私には宮崎監督自身の心の葛藤、つまり宮崎監督自身のように感じた。

誰の心にもある「善と悪」「不安と迷い」「肯定と否定」のようなものをわかりやすく2分化している。

2.大叔父が作りたかった世界

原因はわからないが、大叔父は悪意に満ちた現世に生きにくさを感じ、おそらく、理想郷を創ろうと、あの世界の中で、毎日穢れていない石を積み続けたのだろう。

あの世界、つまり天国だと思うのだが、
しかし、出来上がったのは、現世と変わらない世界だった。

そこは人間ではなく、インコの勢力が増していた。

大叔父がペットとして連れ込んだインコは、知能を持ち、繁殖し、人間を凌駕していた。

大叔父は創造主として一定の尊厳を保ってはいたものの、人口が膨れ上がっているインコ族?は独自の進化をとげ、インコ大王の元、それなりのルールの中で国家のようなものを作っていた。

インコ大王は、この世界の主導権を大叔父から略奪しようとしていたし、そのために、禁忌を犯した真人をダシにし、さらには一族の娘「ひみ様」(実は真人の母の幼少時代)を人質にして交渉をする。

なんてあくどいやつらだ!鳥のくせに!!!笑

おそらく、インコたちの悪意が増大するほどに石の積み木は穢れ、この世界のバランスが崩れていくのだろう。

すでにこの時には「(この世界は)持って1日」と、大叔父は真人に話し、真人は驚愕していた。

この時の大叔父の目はうつろで、絶望とか、あきらめとか、それでも真人に望みをつなぐことで、心のバランスを保とうとしていたように思う。


2.天国づくりを真人に託したかった

大叔父は真人に、「自分の後継者になってほしい」と話していたが、これはつまり、自分の理想郷を作るという夢を、真人にもう一度あらたにチャレンジしてほしいということだろう。

真人になら、自分が目指した理想郷たる「天国」を作ることが出来るのではないかと夢見たのだ。

しかし、真人は断る。

大叔父と違い、真人は現世で生きることを選んだのだ。

真人は、人にも自分にも同じように悪意があることを知っていた。

それでも、
現世で父や母や友達と生きたい
と告げ、
大叔父の作った世界は崩壊する。


3.状況や生い立ちや誰かを恨んでも仕方がない。自分次第で未来は変えられる。


母が火事で亡くなり
父は仕事が成功して忙しく、そして金持ち特有の傲慢さも持っていた
(昔はよくあったらしいが)父は、母の妹を後妻に迎え、真人は父をも奪われたように感じたかもしれない
後妻(なつこさん)は亡き母にとてもよく似ていたが、心から甘えることができなかった
疎開先の学校ではいじめられた

父も母も友達も、頼れる人も甘えられる人もいない
世界は灰色に映っていたかもしれない

それでも、大叔父と同じ選択をしなかった真人。

大叔父が作ったこの世界で、
幼い母(ひみ様)に出会い、
なつこさん(後妻)の本音に出会い、
大叔父の作った世界に触れ、

悩んだり、人を憎んだり、寂しさを抱えているのは自分だけではないと気付いたのだろう。

作中のふわふわだって、理不尽にペリカンに食べられていたではないか。
そのペリカンだって、勝手に連れてこられて、食料の魚は少なく、ふわふわを食べるしかなかったと、死の間際に言っていた。
諸行無常!

理不尽なことなど、どこにでもあって、だれにでも起こり得るのだ。
自分にだけ起こっているわけないじゃないか。

どこで生きようとも、自分次第だと気が付いたのかもしれない。

4.いつだって人が一番怖い

登校拒否や、ひきこもりの方に、ぜひ、見てもらいたい作品でした。
それから、自死されるかたとかね・・・その前にね。

生きてたら、自分にとって意にそぐわない出来事なんて山程あります。
私にも、記憶から消したくなる出来事がたくさんあります。
親のせいにしたり世の中のせいにしたり学校や友人のせいにしたりして過ごした反抗期も、消し去りたい過去です。

でも、誰かのせいや何かのせいにしても、状況は全く変わらなくて、
たとえばお酒を飲んで一時は忘れても、覚めれば何も状況は変わっていない。とかね。

世を拗ねて斜に構えて生きてみても、つまらなくて。
こんなつまらない人生でいいのか?
自分の人生なのにもったいない!
楽しんだもん勝ちだ!
って切り替えたものでした。

なんか、そういう、生きにくかった時期の自分を思い出して、泣きたくなる映画でした。

でも、まだ気づいていない人には、早く気付いてほしいって思います。

自分次第で、もっともっと人生が楽しくなるよ!って❤☺

5.裏テーマは「生きろ」

ひみ様も言っていたではないか

自分の命を奪うことになる火を、

「火が怖いんじゃない」

と。

いま振り返ると、
悪意を寄せてくる人も怖いけど、
自分の人生を生きれてなかった
弱かったあの頃の自分も怖い。


結局は、
いつだって人が一番怖い。
自分も含めて。
でも、生きるって、素晴らしい✨✨✨

だって真人は、
来世に託さず
現世利益を選んだではないか!

すべての人に
「生きろ」
っていうメッセージでしょ🌈🌈🌈

6.おまけ

ネットニュースになっていたが、今作は監督のお名前が宮崎から宮﨑へ変わっていた。

これは、これまでにない、はだかの宮崎監督作品だという意思表示なのだろうか。

幼少時代の戦争体験は、宮崎監督の人生に大きな影響を与えた、欠くことのできない出来事であろう。

これは有名な話だが、宮崎監督のお父さんはリアルに飛行機を作る軍事産業の一つで、この頃はとても忙しく、そしてかなり裕福な家庭だったという。

宮﨑監督は、飛ぶことへのあこがれと、実の父が戦争に加担しているという心の痛みを抱えて育ったと言われている。

そんなわけで、空と飛行機は宮崎監督とは切っても切れない

現に空を飛ぶアニメをたくさん作っている。
ラピュタ
ナウシカ
紅の豚
風立ちぬ
トトロですら傘をさして浮かんだと記憶している

これまでのアニメ作品でも、今作と同じように戦争や環境や人の悪意を様々な形で表現していたが、一見それとわからないような、一般大衆向けのストーリーやキャラ付けをしていた。

おそらく、製作費や興行収入の関係で、名プロデューサー鈴木さんが制約を設けていたに違いない。

しかし今作は、そのあたりの配慮はあまり感じられなかった。
あの鈴木プロデューサーも今回ばかりは宮崎監督の好きに作らせてくれたのかもしれないと、勘ぐってしまった。

と、同時に、ほんとうにこれが宮崎監督の長編作品最後の作品になってもいいようにという配慮なのかもしれないと感じ、とても寂しく思う。

無理のない程度に、短編でもいいので、作品作りを続けていただきたいものです。

宮﨑監督にとっての
戦争、
空、
飛行機
そして、これまでの作品作り、
加齢ですら、
自分ではままならない
出来事だったのかもしれませんね。

イチファンの感想文でした。
いやはやおはずかしい。

作中で、母が真人に残した「君たちはどう生きるか」吉野源三郎著
猛烈に読みたくなって買ってしまいました。
これを読んだらまた映画の味方が変わるかも?

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