またもや溜まりに溜まっていた詩の解説をしようと思います。
これ、誰が楽しいのか分かりませんが、
意外に読んでくださっているし、
もしかしたら日常の荒波で読み逃していたものを発見してくださる機会に成ってるのかもしれないと思ったら、
どうしても続けてしまうのでした。
相変わらず、解説になっているようにはちっとも見えないけれど、
たまにちゃんとしたことも書いている『解説のような』をお楽しみいただけたら幸いです。
まずは「白粉」。
白粉なんて、私は苦しくて使えませんが、
きっとこの主人公のなかでそれはその人に会うために必須のものなのでしょう。
そうすることでしか会いに行かれない自分に辟易しながら、
それでも会いたいから、
この儚い白を吹き飛ばさないで、という詩です。
詩学舎でのお題『水玉』より書いたひとつ。
こちらは出さなかったひとつでもあります。
生きることと、
在ることは別の次元のことのように思っています。
なので、ここでは分けています。
無は全てを生み出す泉。
そこからは何でも出てこられるのだと思っています。
有さえ含んだ無の反転絵巻が世界なのかもしれません。
自由港書店さんからの帰り道は海の、青の、蒼の詩が良く出来ます。
あの反射で見せられる色の中に紛れてしまいたい。
それでも重たい体を引き摺って、
そのときまでは行きましょう、という詩です。
蒼は、
子宮でも、空でも、彼方でもいいのです。
特別のふつう、をあげたい。
それだけの詩です。
明日は枕の下であたたかに目覚め、
その手の中で羽を開くんだよ、と言ってあげたい。
燃え尽き、
そしてやがてまた瞬き始めるまでの短い期間のお相手をしましょう。
闇は恐れる対象ではなく、
包み込み、
許す鏡像でもあります。
詩が死をいつか超越したらいい。
そんな夢物語。
夢、という言葉が甘い響きを持っているのは、
これ唯一のもの、が無いからなのかもしれません。
それにふさわしい自分なんて一生なれないのかもしれないのに、
息はしているだけで苦しいものです。
いつか私の言葉が残ったら、
意識を失うその時に響けばいいなと思います。
あなたが懸命に生きたそのあとには、
迎えの安らかさを。
必ず連れて行きます。
自分が纏うものは、
財産ですが、
私のものではありません。
私を語るための道具でもありません。
私の私たるための私を、
けして埋没させてはいけません。
いつまでも書いてる。
ただそれだけのことを言ってる詩です。
言葉が好きで仕方ないのです。
ずっと、
この不器用な手で紡いでいかせて。
私を離れないで。
離れたら世界で一番小汚い言葉の底で書き続けてやるからな、
という詩です。
以上、まずは十篇。