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「いっしょにいる」の解説のような

最初に書きなぐっているノートでは、
タイトルが「そばにいる」でした。

でも打っているうちに、
最後の一文を「そばにいる」から
「いっしょにいる」にして、
読み返してさらに「いっしょにいることにした」
と直したことにより、タイトルも変わることになりました。

「そばにいる」というとどこか献身的というのか、
自傷的な感じをうけとるなぁと思っていたので、
「いっしょにいる」という少し幼稚なくらいの気分で、
つよく言い切るほうが良くなった気がします。


【誰かと話をすればするほど
 私は私だ
 と思う

 当たり前に隔絶したまま
 当然の顔でそばにいる

 同じ言葉であるくらいで
 分かりあえるはずはないと笑い合う

 同じ悲しみを前にしても
 味わう舌は同じにはなれないことは悲しみではない

 目を見て
 口を見て
 動きを見て
 生きる術の違いを見つめ続けながら
 いつまでも分かりあえないひとたちと
 私はいっしょにいることにした】

読み方のトーンが違うと、
悲しいというのか、諦念の詩に感じてしまうかもしれませんが、
書いた本人はとってもほがらかに、
あっけらかんとこれを書きました。

気分が違えばそう読める、
な詩かもしれません。

分かりあえるからいっしょにいるのではありません。
きっと一生分かりあえない部分を多く持ちながら、
それを面白がれるひとたちといっしょにいることにしたのです。

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