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大阪フィル べセス指揮 角野隼斗pf. in 岐阜 (16 March 2024)

時空の歪みがありますが、コンサートの帰り道に書いたものを数日寝かせてしまい、今読み直し、色々直しました。角野さんファンの端くれによる、大変偏りがある感想ですが、自分の久しぶりの遠征日記として上げます。

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待ちに待った大阪フィル岐阜公演。この公演の発表があった時、ソリスト角野隼斗ダブルコンチェルトは言うまでもなく、なかなか見ない組み合わせのプログラムと音響がいいという評判のサラマンカホールにも惹かれ、久しぶりの遠征を決めた。

2023年度は、私にとって無謀な挑戦の正念場で、心にあまり余裕がなかったが、ようやく終わりが見えてきたので、久しぶりにnoteを書いてみた。

いざ、サラマンカホールへ

コンサート当日は、所用を終えた京都から米原・大垣経由のJRで、のどかな田んぼの景色など車窓を楽しみながら西岐阜駅に向かった。サラマンカホールは岐阜駅からは約5km、西岐阜駅からは約2km。後者からであれば、万が一、タクシーが無くても歩ける距離と分かり、こちらで下車。運良く駅まで迎えをお願いできたタクシーでホールに向かい、OKBふれあい会館(北口)で降りた。

OKBふれあい会館 北口

エスカレーターを上がると、自然光が差し込む吹き抜けになっている天井(フロアで言うと9階分くらい)が見え、上がったフロアがOKBふれあい会館ロビー(2階)だった。

天井に吊るされた公演幕

ロビーは市民の交流の場所らしく、開場を待つ人々以外にも、大勢の人たちが大きな広場に集っていた。ホールはロビーの一番奥にあった。

サラマンカホール入口(開場後)

複数の完売御礼ポスターに出迎えられ、ホール入口に着いた。

サラマンカホール入口近くの外

16:50の開場後、クロークに荷物を預けたら、ご無沙汰していた方から、お声掛け頂き、少しお話をした時に17:10からプレトークがあることを教えて頂き、足早にホール内部に向かった。

な、な、なんという美しさ!

入口付近で、しばし立ち止まり、ホールに見入った。木目調の壁、シャンデリア、パイプオルガン。2月に行った所沢ミューズに似たシューズボックスのような造りだと思った。座席数は約3分の1、708席と中規模のホールである。

最後尾の通路からの眺め(休憩中に撮影)

今回は光栄なことに、左ブロック前方通路側の席を予約することができた。角野氏が2つの協奏曲を弾くと知った時、できればお手元や表情を見られる席を!と思い、念願が叶った。

プレトーク

入場時に受け取ったプログラムノートを執筆された奥田佳道氏によるプレトークは開演前の20分弱、行われた。

冒頭、本日チケットを取れた皆さんは大変幸運です、と始まり、その後の数分間、角野氏の直近の活躍、今後の大舞台・公演についての紹介が順を追って丁寧に行われ、音楽評論家である奥田氏も相当の角野大ファンとお見受けした。もちろん、7月14日の誕生日武道館公演、マリン・オルソップ氏との共演予定の7月のシカゴ交響楽団主催のRavinia Festival、10月のボルチモアで、それぞれ、ショパンピアノ協奏曲1番、2番が演奏される予定であることにも言及された。ボルチモアで2番を初めて弾くことについて、角野氏とやりとりした話もあった。続いて本日のプログラムの紹介が、プログラムノートを補完する形で、曲の背景などエピソードを交え、説明があった。以下は、奥田氏の説明を、記憶を頼りに主要なポイントを再現するような形で書いてみた。多少の記憶違いはあるかもしれないこと、ご容赦願いたい。

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冒頭のモーツァルトの交響曲第32番ト長調は、交響曲に分類されているが、10分弱の短い曲で、近年の研究によれば、オペラの序曲として書かれたとも言われています。今回のプログラムの素敵なオードヴルとして楽しんで頂きたい。この曲は、モーツァルトがウィーンに移り住む前、パリやドイツのマンハイムなどに旅行していた時に書かれたものです。

2曲目は、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。ガーシュウィンが好きだったラヴェルとの間には逸話があり、かつて、ガーシュウィンはラヴェルに弟子入りを申し込みますが、当時ガーシュウィンが受け取っていた報酬を聞いたラヴェルは、その額に驚き、二流の私が一流の音楽家に教えることなどないと断ったとか。これは恐らく、言い伝えられる過程で、多少の脚色がなされている部分もあるかと思います。この曲では、第2楽章がブルースで構成され、(ピアノに)オーボエが寄り添うパートなど本当に美しいです。第1楽章の鞭の音は、アジアとヨーロッパの音楽が繋がった瞬間、象徴と言えるかと思います。フランスが当時植民地にしていたジャワ島(インドネシア)のガムランの音楽などもラヴェルの音楽に影響を与えています。

後半はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番ヘ長調で、ショスタコーヴィチが、息子のために書いた協奏曲で、特に有名な第3楽章にはハノンが入っています。当時息子は既に19歳になっていますが、「息子よ、ハノンの練習はちゃんとやっているか?」とのメッセージを込めたものです。第3楽章に注目されがちですが、第2楽章は、ロシアで書かれた最も美しいメロディーと言われるほど甘美なので、ぜひとも角野さんの演奏を楽しんで頂きたい。

最後はベートーヴェンの交響曲第8番ヘ長調。「田園」と同じヘ長調ですが、この8番は、ベートーベン自身が一番好きだったと言われる交響曲です。

今回の4曲は、前半2曲がト長調、後半の2曲がヘ長調の構成となっており、それぞれの調性の響きの違いも楽しんで頂けたらと思います。
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モーツァルト:交響曲第32番ト長調 K.318

始まり方が美しくて、曲の魅力に引き込まれていった。普通の1楽章分くらいの長さに全楽章が含まれ、休むことなく演奏されたので、あっという間に終わった。奥田氏が例えられていた通り「素敵なオードヴル」だった。ハーモニーがホールの隅々まで広がり、絶妙なバランスの残響を全身で感じることができ、サラマンカホールで。メインディッシュの曲がどう響くのかが、楽しみになった。

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調

舞台上手に置かれていたスタンウェイが中央に設置され、いよいよ待ちに待ったラヴェル(1875-1937)。角野氏のラヴェルピアノ協奏曲の生演奏を聴くのは2022年5月ぶり以来だ(この曲はかてぃんラボで角野氏自ら、曲の解説をしてくれ、複調(polytonality)や複拍子(polyrhythm)が沢山使われていること、一部の旋律を歌ったり弾いたりしながら、熱く解説して下さったことを記憶している)。また、私は小曽根真氏の演奏を新進気鋭のマリ・ジャコ指揮、読響で3月12日にサントリーホールで聴いてきたため、それぞれの異なる魅力を味わいたいと思った。

場内が暗くなり、全身ブラックでコーディネートした角野氏と指揮者のべセス氏が登場し、会場から大きな拍手が起こった。角野氏はピアノの前に座り、ベセス氏とアイコンタクトをすると、べセスは指揮を始め、ピシャッという鞭(ウィップ)の音で第1楽章「Allergamente(楽しげに)」が始まった。最初は、ピアノ、ピッコロ、ハープ、トランペットなどが次々と聴きどころを見せながら、バスク地方の民謡とブルースを融合させたような主題が奏でられ、ラヴェル独特の色彩感溢れるハーモニーに酔いしれた。弦、クラリネット、トランペットやトロンボーンなども複調的な和声を重ね、ラヴェルの遊び心が炸裂する瞬間がどんどん出てきて楽しかった。私の脳裏には、かつて訪れたスペインの列車から見えるだだっ広い荒野とNYの摩天楼が交互に浮かび、大昔に乗ったディズニーランドのピーターパンのアトラクションを思い出した。

耳では、様々な楽器の音を追いつつも、正直に言うと、私の視線は、鍵盤を華麗に走り回る角野氏の指をはじめとする身体の動きや表情に釘付けだった。激しく上行・下行するグリッサンド、難易度の高そうなアルペジオ、打楽器的に鍵盤を叩くなど、他のクラシックの協奏曲であまり見られない奏法のオンパレードだったので、個人的にはそれらを見るのも楽しかった。左右の手の動きがあまりに激しい時などは、いい表現が思い浮かばないが、鍵盤上でトムとジェリーが追っかけっこをしているような感じというか、曲芸並みの指使いに何度も息を吞んだ。

曲後半の再現部で、ハープのカデンツァは、角野氏のソロツアーのアンコールで聴いたノクターンを彷彿させるような、水のなかにいる錯覚に陥る音色で、木管、ピアノと引き継がれていくカデンツァでは独特なリズムが印象的で、舞台でミュージシャンたちが音とリズムで遊んでいるようでもあった。最後は全楽器も加わってジャズセッションのような感じで終わった。

第2楽章「Adagio assai(とてもゆったりと)」では、どこか懐かしい、時折不思議な音色が混じるピアノ独奏で始まった。ゆったりと動く指の動きを追いながら、美しい音色が心にじわじわと沁みてきて、ここをずっと聞いていたいような気持ちになった。角野氏は時折宙を見上げる時間が何度もあり、サラマンカホールでの響きをじっくり味わっているようでもあった。独奏が終わった後には、木管楽器らが次々と旋律を奏でていって、素朴な、村の祭りっぽい賑やさを感じた。イングリッシュホルン(仏:コーラングレ)がおもむろに美しい旋律を奏で始めて、角野氏がそれに呼応するように一緒に歌いあげ、再び木管楽器が登場して、最後、角野氏の極上のトリルで静かに楽章が終わった。角野氏のトリル技巧がサラマンカホールの音響も手伝って、満天の星が水面(みなも)に映ってキラキラしている情景を音にしたらきっとこんな感じなのではないかと思った。また「亡き王女のためのパヴァーヌ」を彷彿させる儚い音色がまだ耳に残っている。


最後の第3楽章「Presto(とても速く)」は、ドラムロールに合わせて、金管楽器らが複拍子(ポリリズム)と思われるリズムを刻みながら、これからパレードが繰り広げられるかのよう活気に溢れた雰囲気で始まった。かてぃんラボで、角野氏も同楽章をディズニーランドのアトラクションに例え、目まぐるしく部屋(シーン)の設定や音楽が変わっていく感じだと表現していたかと思う。角野氏のピアノは、超絶技巧のアトラクションと言っても過言ではないほど、目まぐるしい展開だったが、終始楽しげな表情だった。左右の手でリズミカルにオクターヴで半音階移動をさせるパート、特に低音部ユニゾンがホール中に鳴り響くところは、1人ボレロの後半を彷彿させた。ソロツアー本番で20回、前後の練習も含めたら、私には想像できないほど弾き込んできたであろうボレロで刻むリズムが同楽章に活きている気がした(ラヴェルはボレロを作曲した後に、ピアノ協奏曲を2曲、作曲しているから、ボレロ的と思うリズムが出てきたと思ったのはあながち間違ってはいないかと)。次々と様々な楽器で奏でられる主題が、テンポよく絡み合い、絶妙なバランスの不協和音のハーモニーがホールに鳴り響き、多幸感に満ちたまま締めくくられた。角野氏の最後の最低音は、まるで銅鑼の音のように聞こえた。ラヴェルの時代にベーゼンドルファーがあれば、最低音の一つ、黒いキーを楽譜に書き込みたかったかもしれない。

ラヴェルの演奏後(休憩中)

休憩時間中のホール見学

15分間の休憩時間には、1番後ろまで階段で上がり、全体を見渡してみた。私の席からは少し見えにくかった木管金管パートも見渡せ、舞台がそんなに遠い気がしなかった。

1番後ろの通路から撮影

1番後ろの通路からホールの外に出ると、そこは2階の踊り場になっており、サラマンカ大聖堂(左右のモチーフ)とサラマンカ大学(中央の高い作品)の代表的なモチーフがファサード風に装飾されていた。スペインから職人が来て、数年かけて建造された物らしい。

2階踊り場の装飾

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調

休憩を終え、再び角野氏は舞台に登場した。次はショスタコーヴィチ(1906-1975)のピアノ協奏曲。私の記憶が正しければ、2022年9月4日の子ども定期演奏会(PTNAの開催レポ&インタビューはこちら)で第3楽章のみ演奏したことはあるが、全楽章を通しての演奏は今回が初かと思う。

ある時、輸入盤CDで、幸運にもショスタコーヴィチ自演(クリュイタンス指揮、フランス国立放送管弦楽団)の録音(1950年代)を見つけて聴いたら、演奏が素晴らしく、ショスタコーヴィチが一流のピアニストでもあったのだと知る。他のピアニストの演奏と比べると、第1・3楽章はかなり速く、オケがついていくのがやっとだったのではないかと思った。角野氏もアップテンポ気味に弾くのではないかと勝手に推測し、今月は暇がある時にはショスタコーヴィチの録音で予習した。

第1楽章「アレグロ」は軽快に始まり、ピアノは、左右の手によるオクターヴのユニゾンで始まり、ショスタコーヴィチが息子に「基礎練は大事だよ」と言っているようでもあり、角野氏には「ラヴェルで疲れただろう。ちょっと手を休めていいよ」と言っているような・・・。そう思っているのも束の間、あっという間にテンポが上がって、弦楽器全体が大きなハーモニーを奏でていく部分は迫力があって、ピアノとの掛け合いも楽しくて華やかな楽章だった。

2楽章「アンダンテ」は、ラヴェルのピアノ協奏曲の2楽章に負けず劣らず旋律が美しく抒情的で、少し切なくもあり、サラマンカホールでの響きがその美しさをより際立たせていた。

3楽章「アレグロ」は、角野氏のXに上げられた22秒を観るのが一番。躍動感に満ちたハノンのパートは、角野氏が弾くとハノンも芸術作品に生まれ変わり、転びそう(指が滑りそう)なくらい隼いのに、決して転ばず、正確にリズムを刻み続けていて、なかなかスリリングだった。確か、この楽章だったと思うが、ピアノが少し休む場面で、これまでよりちょっと大胆に手で膝を叩いてリズムを取っていて、その後、手を広げて膝に大人しくおいたのは、角野氏もリズム隊に参加したくなったのか。オケとの掛け合いも息ぴったりで、視覚的にもとても楽しい楽章だった。大阪フィルのXにも❤︎❤︎なお2人の姿が!

En Core:スワニー

弾き終えてすぐベセス氏とハグ。ラヴェルの時よりも、べセス氏のハグは熱く、「君との共演は本当に楽しかったよ」と言っているような表情だった。客席にお辞儀をする角野氏の表情にも「楽しかった!」が溢れていた。4、5回目のカーテンコールの後、(指揮者は舞台に現れず)角野氏1人が少し足早に舞台に登場し、手で「1曲弾きます!」みたいなジェスチャーをしてピアノの前に座った。私たちも拍手をやめて、今日は何を弾いてくれるんだろう?と期待に胸を膨らませて、彼の1音目を待った。彼は鍵盤に視線を落とし、ほんの少し、間をおいてから、ガーシュウィンのスワニーを弾き始めた。冒頭は手慣らし的な弾きぶりだったが、その間にインスピレーションが湧いたのか、先程の3楽章に混ざっていたハノンの練習曲をスワニーにさりげなく混ぜてきた。こう来たか!とニヤニヤして、笑ってしまいそうになるところを必死にこらえた。そんな私、観客を、さらに煽るかのように、角野氏は、ジャズっぽい即興を加え、割と大胆にハノンとスワニーで遊び始めた。この日に聴いた2つの協奏曲の最終楽章の盛り上がりを1人で再現しているかのようだった。自身のソロツアー後半プログラム(ガーシュウィン→ラヴェル)の経験が活きて、オーケストラ感がグレードアップしていた気がした。私からよく見えるヴァイオリンパートの皆さんもニコニコしながら、角野氏に視線を向け、楽しまれていた。

時間にすると、数分くらいだった思うが、とても贅沢な時間だった。拍手が再び鳴り止まず、多分2回目のカーテンコールでピアノの脇に立ち、深々とお辞儀をした後、観客席を見渡しながら微笑んでピアノの蓋をそっと閉め、ホールの各方面に、ありがとうございましたという視線を送りながら退場した。

帰宅途中に気づいたのだが、スワニーはヘ短調で始まり、ヘ長調に転調して終わる。角野氏は、後半プログラムがヘ長調に統一されていることに配慮してスワニーを選んだのだろうか。

ベートーヴェン交響曲第8番ヘ長調

ラストを飾るのは、ベートーヴェンの交響曲。1900年代のコンテンポラリーミュージックが続いた後に、再び古典。図書館で借りた本に書いてあったことだが、8番は、ベートーヴェンが心を寄せていた女性と頻繁に手紙のやりとりなどもしていた時期に作曲されている。ベートーヴェンというと、しかめっつらがトレードマークな印象を持つ人が少なくないと思うが、そんな彼が頬を緩ませ、思う女性に手紙を書き、8番の譜面を書いていたことを念頭において聞くと微笑ましい気持ちになる。

第1楽章は、いきなりトゥッティで華やかに始まった。マエストロの指揮の指示は穏やかでやさしく、見ていて安心感があった。生命力に満ち溢れ、ベートーヴェンらしからぬ、と言っては失礼かもしれないが、彼の他の交響曲と比べたら、全体に軽快で明るく進行していくので、その意外性が楽しかった。

第2楽章は、管楽器がずっと時計の秒針のような正確なリズムを刻み続けている音が可愛らしく、この楽譜を書いたベートーヴェンの遊び心が粋だと思った。彼は、オーケストラのテンポを一定に保つための仕掛けをこの楽章で試したかったのだろうか。研究者らは、この管楽器が刻むリズムについて、当時、発明(改良)されたメトロノームの音を意識している、或いは、ハイドンの「時計」交響曲から着想を得ているなど分析しているらしい。なるほど、メトロノームか!ふと思い出したのだが、以前訪ねたベートーヴェンのお墓はメトロノームの形をしていた。

ベートーヴェンのお墓(wikimedia commonsより)

第3楽章は、長い旋律が印象的で、弦楽器や管楽器らの対話、ハーモニーが美しく、第4楽章は、アップテンポでリズミカル。田園とか運命のような重厚長大な交響曲と比べると、肩の力を抜いて、楽しく聴ける交響曲だと思った。

【3/26追記】
オーストリア政府観光局が、ベートーヴェンの命日に彼の墓碑を掲載していました。

最後に(しろうとのつぶやき)

かてぃんさんの協奏曲は、昨年10月のボストンポップス以来でしたが、彼がNYに拠点を移し、それまでよりもインプットの時間、ライブでのジャムセッションの経験などを経たことも大いに影響していると思いますが、オケとの掛け合い、ソロの演奏含め、かてぃんさんの引き出しの音色とリズムセットはさらに充実したような印象を持ちました。特に、ポリリズムやブルースなどのジャズの要素がたっぷり入ったラヴェルのピアノ協奏曲は本当に絶品だったので、また聴きたくなりました。現在進行中のソロツアーでの1人オーケストラ演奏のお陰もあるのでしょうか、より強靭化した体幹と脱力の完璧なバランスが、弾き方や音色に出ているような気がしました。

もう少し気の利いたことも書こうと思いましたが、久しぶりのnoteでもあり、今回はこの辺にしておきたいと思います。

(終わり)

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