美しい部屋


言葉は言葉だけで自律しているのに意味を与えるなんてかわいそうね



ビューです。
今日から新しい企画として「美しい部屋」という言葉による表現活動をはじめます。前身の企画として13年10月〜14年初め頃まで活動していた「ネオニュー」という言葉によるドローイングという活動があるのですがそれを新たな気持ちで再スタートさせた感じです。
前回と違うのは「ネオニュー」はタイトルの示す通り「新しくなっていくこと」がテーマだったのですが、それは「新しいマンガ制作のためのドローイング」のような意味合いが強く、このネオニューが進化して「球体マンガ」になったようなところがあります。
それに対して「美しい部屋」では最初に書いた言葉の示す通り言葉は言葉だけで自律した表現になっているのだという気づきを元に言葉のみに焦点を当てて活動していけたらと思っています。
つまり絵が無い「球体マンガ」というところでしょうか。

最近思うところあって「ネオニュー」を読み返したのですが、その時にこれは自分にとってとても大切な表現だということに気づきました。同時に今まで自分はマンガというものに囚われている部分が多かったのだなと気付かされました。(こういう気持ちになったのも改名の効果かなと思っています。)
もうマンガを描かないという意味ではなく、目的は表現なのにマンガという手段に執着していた自分に気づいたというか。表現という目的を手段で分類するのではなくもっとボーダレスに活動できたらいいと感じました。
言葉を使った表現活動は一般的には「小説」とか「詩」というようなジャンルに分類されそうですが、あえてそういうカテゴライズはしないつもりです。ですからこの表現方法自体が「美しい部屋」という名前だと考えていただければと思います。



#美しい部屋




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