インターネットとの出会い、恋愛

小学校5~6年生の時に、友達に誘われて「チャット」をしたのがおれのオタクの芽が生まれた瞬間であったと思う。11歳となるともう14年まえのことであって、さすがにこのころについての記憶というのは事実と相違があったり、勝手に都合の良い解釈をしたりしている場合が多いと思うが、思い出せる範囲で思いだしていこう。

当時はスマホというものがなくもちろんパソコンでカタカタしていて、そして必ずしも一家に一台あるというものではなく、インターネットというものは、生活に必ずしも必要なものというより、少なくとも子供だったおれにとっては、娯楽的要素が大きいものだった。

なぜかおれは親からもっと前に、おそらく小学校中学年のころにタイピングを教えていたので、タイピングはかなり同学年に比べてできるほうであった。ブラインドタッチができる一歩手前みたいな状態だった。

おれがはまったチャットについてだが、そのころには小学生専用チャットというものが存在していて、もちろん特に参加するのに証明は必要がないのだが、おそらくほとんどの人間が小学生で構成されたであろう、サイトがあった。

おれは携帯電話をもっておらず、そして遠距離の学校にいっていたため友達と放課後遊んだりコミュニケーションをとることができる、それ自体が面白くて食いついた。最初は友達2人と、家で何時間でも話すということが楽しくて仕方がなかった。おれは過保護で、異常な家庭に育っていたため友達と放課後遊ぶというハードルがものすごく高かった。田舎なので家に友達を呼ぶのが基本的であるという文化があり、それには親同士の交流が不可欠である。そういった面で、私立ではないが金持ちばかりが通っていた学校のママとコミュニケーションをおれの親は取ることができなかったのだと思う。実際、その学校ではかなり貧乏な家庭であったと思うし、おまけ母はおそらくアスペルガーだ。

チャットではそういったものからすべて解放され、友達と、親が怒らない程度でいくらでもコミュニケーションが取れる。そして2000年代、いわゆるネット黎明期の時代だ。あの頃は、先述した通りネットをしている人間はマイノリティである、という一種の選民意識のようなものがあった。おれが若くてまだ世の中に希望をもっていたとき、という要素を抜かしても当時のネットは今とは違う楽しさがあったのだと思う。

さらに小学校六年生ともなると性への意識が生まれる。おれは小学校でバレンタインのチョコレートをほぼもらったことがなく、当時からもてなかった。要因は色々あると思われるが、まあだいたいあの頃はスポーツができたり、顔がくりっとしていて可愛かったりしている男の子がたくさんチョコをもらっていた。母親に、なぜ俺は女の子にもてないのか、と風呂場でこっそり相談したことを覚えている。母親はなんて答えてくれたのかは覚えていない。まぁ、ようは外見的な要素や能力ではなく文字のコミュニケーション一本でやっていくことに、とても希望が持てた。

チャットで顔もわからない女の子に好きだといわれたり、言ったり付き合うまではいかないまでも、生身の女の子(であろう人間)とほぼ初めてコミュニケーションをとったらしい。しかし当然、そんな甘い時間はずっと続くはずもなく、いつの間にか関係は破綻した。当時の自分にとってはとてもショックで、悲しい出来事だったはずなのに、あまり詳細を思い出すことができない。そんなことを数多く経験した事実はあるっぽい。

令和2年。今は25歳で働いておらず、デブできもくて金がないおじさんになってしまった。そしてインターネットという場で相変わらず人間たちと話している。周りはあの頃と違って、インターネットを、そこでの出会いや恋愛を馬鹿にしたりしていない。選民意識は失われてしまった。おれも、リアルに女の子と会ってご飯を食べたり、デートをしたり、性行為にも及び、女性というものを少しは理解した。それは幸福なことだったと思う。おれみたいなやつがそんなことにありつけたのは、結局運が良かったからだと考えている。

それはそれとして、ときたまインターネットだけの、優しい幻想、具体的な記憶を伴わない、ふわふわした恋の期待とも呼べるような情景、あのころのイメージ、それを懐かしむ。あの頃、あの年齢でインターネットで、恋愛ごっこするのは楽しかった。おれインターネット""だけ""の関係や距離感にときたま執着するのは、こういう経験の影響もあるのではないかと考えている。


Boooon!!
ワープでループなこの想いは
何もかもを巻き込んだ想像で遊ぼう (ハレ晴レユカイより)


何もかもを巻き込んだ想像で遊べるときが、少しでも、大人になってしまったこれからもとれれば幸せですね。

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