面倒くさいことをすること

いわゆる発達障害的な特性があると、人生の大半は面倒なことである。洗濯掃除めんどくさい、服をたたむの面倒くさい、買い物するのめんどくさい、なんなら生きるの面倒くさい。窓の外に身を投げ出すのも・・・幸運ながら面倒くさいのである。

残念ながら面倒くさいことをしないと生活をしていけない。掃除をしなければ宿屋で回復するHPが減っていってだんだんと破滅していくのである。

面倒なことをする気になるには、つまるところどうすればいいのだろう。


色々考えた結果、面倒なことをするためには怖い経験、きつい経験を死なない程度にやるということが一番いいという結論に至った。

そもそも面倒なことを我々はなぜしないかというと、それはしないでもなんとかなるように思えることであり(ここの判定が発達障がい者は提携発達者よりもものすごくザラである)、かつそれが退屈な作業であるからだ。

結論から言うと我々がしなくともなんとかなるとおもっていることはなんともならない。

例えば先ほど言ったように掃除をしないとデバフがかかる。恒常的なぶんかなりたちが悪いといえる。ただ短期的には何も変わっていないように見えるから、私たちは先延ばしをしてしまう。

ここで普通の自己啓発書だと習慣づければよいというようなことをのたまっているが、これはのどが渇けば水を飲めばいい、水はコンビニに売ってある。と言っているようなもので、我々は往々にしてコンビニの位置が分からなかったり、買うお金がなかったり、あるいは外に出られなかったり、人によってさまざまな原因をはらんでいる。

ようは習慣づけるっていうけどそれはどうすりゃいいんだよ!エミリア!家に来て世話をしてくれ!といった具合だ。


それについての、一つ言える確かな誰にでも通用する対処方法だが、苦痛なことをするといい。人間が苦痛なことをする原因は主にお金がないことにある。お金をあげるから苦痛なこと代わりにやってね~っていうシステムが文明にはある。

かんたんにいうと労働だ。甘えを捨てろ。もうこれで読者層の半分くらいはうってなっていると思う。

労働はやってみるとわかるが信じられないくらいきつい。年下にコキつかわれる屈辱、みんながやっていることがなぜかできない、みんな俺のことを馬鹿にしてるんじゃないか。苦しい。苦しい。(個人の感想です)

もうしてるよ苦痛じゃないよって方は凄い。君は神に選ばれたのかもしれない。負荷が足りない可能性があるのでもっと苦痛なことをしてみよう。フクギョーとかインフルエンサーとかいいよ。

おもしろいもので、人間は凄い苦痛なことをすると、向上心が生まれる。なぜかというと、苦痛から逃れる必要があるな、と体が分かってくるからだ。そうすると、今までの、退屈から逃れるために甘受したデバフのクソやばさが、ふわふわした理性ではなく直接的に本能的な危機として訴えてくる。よって、面倒なことをするようになるといった具合である。

結論

生活をやる、当たり前の習慣をつけるにあたって、つまり何かを始めるにあたって、なにが人間を駆り立ててるかというと、飴と鞭だ。そして掃除や洗濯というのは飴ではない。だから鞭を強化していこう、そのためにはきつい労働をするといい。

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