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ひとり子に家庭教師やさくらんぼ

 小学生の時分から学校の成績は最下位が定位置だった。塾に行ってもついていけないものだから、仕方なく親がずっと家庭教師を雇ってくれていた。にもかかわらず高校1年の時点で偏差値は30台。出来が悪くて申し訳ないと思っていたが、出来ないものは仕方がない。
 頭は良くならなかったが家庭教師は幸い、誰もがフレンドリーな人たちだった。小学校3年生のときについた学芸大生のお姉さんは、私を大相撲の観戦に誘ってくれた。当日はお姉さんの先輩たちも一緒に来ていて、私を見るや「あれ、お子さんかい?」などと言って、お姉さんと私をからかってきたものだ。彼らと一緒に食べた国技館の焼き鳥は炭火の香ばしさが美味で、その味は今でも忘れられない。
 高校2年生のときは一橋大学プロレス研究会の部長が家庭教師についた。彼は大学祭での学生プロレス興行に私を招待してくれた。選手たちはお客さんを喜ばせるため戦いと笑いで緩急をつけ、一所懸命にプロレスをしていた。その姿が何とも刺激的でカッコ良く、私はすっかり惹きつけられてしまった。
 私が無謀にも大学まで進もうと決めたのは、家庭教師たちとの楽しい思い出があったからだと今にして思う。

初出 2012年10月31日ゆうゆう夢工房