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既存レジームからの脱却を/飯島章友

 ここにアップするのは、小池正博さんから〈2010年代の川柳〉として何か書いてください、とご依頼をうけてのものです。2013年のことですから、ちょうど10年前ですよね。
 10年前はこういう現状認識だったのかとか、これは今の川柳界では実現されているなとか、ここは当時と全然変わっていないなとか、いろいろと考えながら読んでいただくと面白いのではないでしょうか。
 読み返してみて、個人的に面白かったのは次の二点です。ひとつは、いまやファンが大勢いる人気柳人の八上桐子さんのことです。この当時から魅力的な川柳を作ってらしたんだな、と。もうひとつは、この当時と違い、いまは新しい川柳の領域ができあがったよなあ、ということ。しかも、吟社にどっぷりつかっていない外部の方々がWEB句会を立ち上げ、それが人気になっているところが面白いし、素晴らしい。
 柳誌用に書いた小論なので、ネットで読むと少々お堅い文体ですが、そこは差し引いて楽しんでくださいね。

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既存レジームからの脱却を/飯島章友


   1、マンネリスパイラルの自覚を
 「2010年代の川柳」というテーマ。これは困ったと思った。なぜといって、〜年代の川柳という中には予め、文体、技法、視点、そして作品の判断基準の「変化」が問われていると考えるからだ。
 文芸川柳(マスメディアの公募川柳と区別するためこう呼ぶ)の世界は「柳壇」なる言葉こそ存在するが、実際には川柳の公は形成されておらず、個々のエコールやグループが自分たちの内々で完結する川柳を作っているのが現状だ。そのため作品を判断する基準を議論する必要がなく、この十年間は漸進的などころかほとんど変化していない。2010年代を論じようとすれば、特定のグループや作家に絞らざるを得ず、川柳一般論を書くことができない難しさがある。
 もちろんよく言われるように、時代にとらわれない人間普遍の真実があるとすれば、文体や、技法、視点に変化などは必要ないのかもしれない。真実を穿つことがそのまま優劣の判断基準となるからだ。しかし、真実を抽出するだけでは読み手の心に「共鳴」は起こせないと私は考える。
 たとえばだが、既存の文芸川柳にありがちな句を私が仮構してみよう。
 
  哀しみも刻み込まれた笑い皺
 
 まあまあの川柳かもしれない。だが、このテクストが仮に真実に適っていたとしても、私なら(上手くまとめたな)という感想しか湧かない。そこに創作性としての「驚異」がないため、心が共鳴しないのだ。
 黒澤明の「七人の侍」は、農民を無償で助ける侍たちの生き様に人間の真実があり、海外でも広く評価されている。しかし、それは何台ものカメラを駆使した類例のない戦闘シーンがあったから――つまり既成の方法を転換、打破したダイナミックなカメラワークなどがあったからこそ、観る側に驚異を起こさせ共鳴を生んだのである。従来と代り映えしない手法で無償の行為(美徳〉を描いていたら、人々の心は動かせなかっただろう。
 
  鳥は目を瞑って空を閉じました 八上桐子
 
 私がいま気になっている柳人の一人、八上桐子の作品で例示する。「目を瞑って」自らの視界を閉じることを「空を閉じました」と表現する。これは既成の概念的枠組みを転換させている。平易な表現だがここには確かに驚異があり、それが共鳴、共感へとつながっていく。
 逆から言えば文体、技法、視点において変化や転換が見られない表現分野では、当然だが驚異は生まれにくい。それゆえ予定調和的な、共鳴性・共感性に乏しい作品が次々と生み出され「マンネリスパイラル」に陥っていく。文芸川柳がいまその状況にあると自覚することから、私たちは2010年代の川柳を考えていかねばならない。

   2、新人発掘のメカニズムを
 お隣の歌壇では商業誌や結社誌が新人賞・結社賞・評論賞などを通じて積極的に新人を発掘し、後押しする態勢がある。またインターネットが普及してからは加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸らが中心となって、ネット上で活躍する書き手を事あるごとに紹介・評価し、有望な作家を次々と発掘してきた。
 もちろん芸能界ではないので、新人発掘に対して否定的意見が出されることもあっただろう。だが、受賞時には実力が伴っているか疑わしかった新人も、地位がその人の実力を飛躍的に向上させ、短歌界を牽引する存在に成長したケースも少なくない。そして現在では、そのようにネットから出てきた歌人と結社に所属する歌人とが、作風においても作歌の場の多さにおいても大差がなくなっている。この状況の意味するところは何か。結社の既存レジームと異なる新たな短歌世界が出現したということではないだろうか。各新人賞の入選者を調べてみても「無所属」がここ数年急増している。これも短歌の既存レジームが相対化しつつあることを示唆している。
 私は文芸川柳界においても、「マンネリスパイラル」に陥った既存レジームとは異なる、新たな世界を築いていくことが重要だと思う。そしてそれができるとすればインターネットだ。そのための具体策をひとつあげれば「インターネットによる新人賞」創設が最も有効である。
 インターネットによる川柳賞はもう既にある。だが、それは年度ごとの大会賞のような趣である。必要なのは新人発掘が趣旨のイベントだ。そのばあい、二十句〜三十句単位の連作を募集することによって、投稿者・審査員双方の真剣勝負を必然のものとするいっぽう、その証明として審査員がネット上に集まり、公開で意見を交わしあう方式を取るのがよいだろう(短歌でいうかつての歌葉新人賞のような方式)。
 ひとつ必須条件を言う。いくら有望な新人が作品を送ってきても、そのテクストを的確に評価し、後押しできる審査員兼プロデューサーがいなければ、従来の年度賞・大会賞のように点で終わってしまう。時代に適った新人や作品は、それを豊かな言葉で評価し、後押しできる人間が存在することで、実となり花となる。私の知る範囲内で言えば、その審査員兼プロデューサーは樋口由紀子と小池正博が適任だと思うが如何だろうか。
 一般社会では既に既成事実だが、インターネットの活用こそが、既存レジームから脱却する鍵となるのである。

初出:「川柳カード」3号(2013年)の〈特集2010年代の川柳〉
※一部加筆修正しました