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駆るは運命、飛び立て流星の如く


筆者は以前、映画『ラストマイル』について感想という名の日記を綴った。あれは技術によってもたらされる豊かさや便利さを追求した末に必ず起こるであろう問題を描いた作品であったと思う。言い換えれば、人が生み出した技術には『人の夢』『人の望み』『人の業』が詰まっているのではないかと日記を書いている時に思った。
仰々しく言ったが、ただ単に最近サブスクで観ていた作品が脳裏にこびりついていただけである。

脳裏にこびりついてたラウ・ル・クルーゼ隊長(享年24歳)


その作品が『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。
『機動戦士ガンダムSEED Destiny』の正統続編であるが、筆者がFREEDOMをサブスクで観た時はDestinyはおろか大元となった『機動戦士ガンダムSEED』すらまともに観ていなかった。(今はSEEDをリマスター版で、Destinyは総集編で一通り観た)
シリーズファンから見れば小言を言われてしまうかもしれない視聴歴だが、それでも初見時の感想は『面白く感動する作品』であったのは間違いない。筆者は本編こそ観ていなかったが、Destinyの相関図はある程度知っていたために、シン・アスカとキラ・ヤマトが同陣営で戦っている姿を見てしみじみと感動したものである。

SEEDファンの友人と度々FREEDOMの良かったところを話すのだが、筆者は特にディフェンダーとストライクフリーダムのドッキングから始まる『metor(T.M.Revolution)』のパートが好きだ。暇さえあればサブスクでそのシーンを観ていたおかげで一連のセリフを暗記してしまうくらいに。
友人曰く『metor』といえば『舞い降りる剣』(SEED本編35話)におけるフリーダムの初陣、ようはmetor=フリーダム(キラ)だというのだが、映画からSEEDにハマった筆者としては『metor』といえばデスティニー(シン)が無双してるシーンを思い浮かべてしまう。その友人に聞くところ、デスティニーという機体はDestiny本編において大した活躍をあげることができなかったそうだ。総集編を観ただけではあるが、確かにザフトから脱走したアスラン・ザラを強奪された機体ごと撃墜したり、(その後なんやかんや生きていた)アスランの新機体と戦ってボロボロにされるシーンしかろくに浮かばない。シンが活躍してくれないどころかキラ&アスランと対峙しラスボスとまで言われていた当時の状況を友人が語ってくれたが、主人公の座を追われたシンが今度はキラたちと共に自由のために戦う様子がニワカなりに心に刺さったということなのだろう。

今回はSEED FREEDOM、その感想の3分の1といっただがこの辺で。気分が乗ったり特別上映版だったり4DXなんかを観た時は残りの3分の2を書くかもしれない。筆者の心の中にあるたくさんの小さなことを。

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