「帰る場所があるやつは強い」が都合よく解釈するとただの弱者となる。

こんにちは
何ヶ月ぶりに地元に一瞬だけ帰ってゆっくりしようかなと3泊4日の日程でゆっくりするつもりが、今回はお付き合いしている人も一緒に帰ったので「親族には紹介したい」と思い立ち突然の親族行脚旅行となった玉城です。
(ちゃんと充実させてるやないかい)

結論から言うと、今回は失「敗したら地元に帰ればいいや、みんな(家族、友達)が待ってくれてるし。」と思って手を抜いてたらただの弱者になるぞという話をしたいと思います。
noteも久しぶりに投稿するので今回は基本的に沖縄に帰って思ったことをサクッとまとめようと思います。

「助け合い」と「血縁の結束力」という良さ

みなさんの周りに沖縄出身の方はいらっしゃいますか?
もしいらっしゃるのなら、「なんとなくそんな話してたな〜」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、復習がてらみてみてください。

結論をいうと沖縄の良さは横のつながりが最強。特に我が親族は沖縄の中でも最強中の最強だと思います。笑
というのも両親兄弟だけの繋がりではなく、じーちゃんばーちゃん、叔父叔母、従兄弟、なんとじーちゃんばーちゃんの兄弟まで余裕で繋がってます。
なのでイベントごとはとんでもない人が来るということと、先祖崇拝が宗教観の根幹となるので大体みんな集まる。
そのイベントに来ないのは大抵県外に出ている人だったり、自分からその関係性を絶っている人ぐらいだと思います。
(関係性を絶ってる人めちゃ叩かれる)

そこで生まれる特徴といえば、助け合いの文化だったり一度出会えば赤の他人でもみんな家族だ、みたいな文化が醸成されていったりするんですね。
それはみなさんが思う「沖縄の人はだいたい優しい」というイメージにも直結している文化だと思います。
とにかく沖縄の人は優しいし、悪くいえばお節介の域に達します。
タイトルで「なんかディスってない?」と思われた方もいるかもしれませんが、私はそんな沖縄がやっぱり大好きです。地元だしみんなが助けてくれたから今があるので。

そんな良さがもたらす弊害

そんなこんなで本題に入ります。
(長い、はやく言いなさいよ)

まず沖縄県外に出ていった身の人間として、
「身寄りのない環境って死ぬほどきつい」
が地元を離れた人間が最初に思うことなのではないでしょうか?

それは本当にそうで、これまでいろんな助けてくれた人は何かしら縁やゆかりを起点として出来た出会いばかりで、起点となるものすら自分で作っていかなければいけない環境では孤独感を強く感じると思います。
だからこそ新しい環境にいる人間はミートアップや職場での人間関係、外部のコミュニティに入って人脈づくりをしています。

ただ、沖縄みたいな「家族は助け合わなきゃ」という価値観が強い場所から来た人間は「どうせ何か成し得なくても、沖縄に戻ればいい」とついつい考えちゃうものではないでしょうか?
大体の人はそんなこと考えないでしょう、退路を絶った人間というのは本当に強いもので、企業の中を見ても地元で育った人間と地元の外から入ってきた身寄りがない人間で明らかに成果の差と昇進の速さがみられます。
実体験ですが、退路を絶った人間が後退(評価されない、変化しない)すると、すぐそこには崖が待ち受けてます。
踏み外す可能性がすぐそこまで迫っていると本能で察している人間は、崖から落ちないように死に物狂いで努力をする=地元の外から来た人が評価されるという構造でしょうか。

そんな中、地元に残ろうが出ようが、家族や親族の「助け合い」を頼みに「まぁダメなら親を頼ろう」なんて抜かしている人間はただの弱者に成り下がります。
なんてったってこの世は資本主義、競争社会です。
弱い人間はただ強者に喰われてこの世での役目を終えていくでしょう。

「〇〇に頼ろう」というのが結局ぬるま湯に浸かる口実になってしまっては本末転倒、自分の人生を生きるためには自分の脚で立ち、自ら進む道を切り開いていかなくてはいけない。
息抜きをするという意味でたまに頼るのはいいかもしれません。ですが私たちが生きている社会は今のところ強い(評価される、価値を提供できる)人間が生き残る社会となっているので弱者は用無しとしてすぐ喰われるか群れから追い出されてしまいます。
一匹狼で戦うにしても強さが必要なため、結局自力で立てなければいけない過酷な現実が待ち受けています。


まとめ

全然まとまってませんが、今回は以上です。
良いところと悪いところは表裏一体なことが多いです。
良いところだけをみて、都合よく解釈してはいけないという自戒を込めて今回は記事としました。

ではまた自戒。


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