ボカロシーンの語り口について

 こんにちは、あきそらです。

 今回はボカロシーンについて研究する際に想定されるアプローチの方向性、いわゆる語り口について自分なりにまとめてみようと思います。お断りを入れると、先にこれに目を通してしまうことで「自由な発想でボカロについて研究すること」の妨げになる可能性がありますのでご注意ください。一方で、「どんな研究方法があるのかわからない」「思い思いに語っていたら取っ散らかってしまった」などといったケースにはもしかしたら参考になるかもしれません。なったらいいなぁ......

 目次として、今回私はボカロ研究の語り口を以下の6つに分類しました。
*ボーカロイドの歴史
*ボカロ音楽総論
*ボーカロイドを取り巻く技術・サービス
*ボカロ民俗文化論
*ボカロ表現論
*ボカロコンテンツ論

 例の如く、取りこぼしはその都度更新していきます。それではどうぞ。

・『ボーカロイドの歴史』
 2017年8月31日に10周年を迎えた初音ミク。彼女が切り開いたボーカロイドというコンテンツはこれまでどのような歴史を経てきたものなのか。音楽業界や創作文化などといった多角的方面における初音ミクひいてはボーカロイドが誕生する前史について確認したうえで、その誕生と受容から、社会現象へ発展し、その後落ち着きを見せて、そして現在に至るまでの変遷の詳細とその意義を確認し、評価する。さらに現在という時間軸で進行形に見られるボーカロイドの現状を確認し、それらを踏まえてボカロシーンの今後を占う。

・『ボカロ音楽総論』
 ボカロを音楽シーンから考える場合、まずボカロ音楽としてそこに横たわる様々な楽曲に掛かる曲ジャンルや個々の作曲家の作風に言及した音楽性についての切り口がある。ボカロ音楽が内包する多種多様な音楽ジャンルをボーカロイドを前提に分析し、考察する。また、ジャンルごとに代表的な曲、ボカロPをピックアップし評価する。
 もう一つの切り口として、音楽業界全体とボカロ音楽シーンを対比して評価する切り口が考えられる。インターネットの出現によって衰退論が叫ばれていた音楽業界に対し、インターネットによって隆盛を極めたボカロ音楽は、現在の音楽業界にどのような影響を与えたのかを確認し考察する。

・『ボーカロイドを取り巻く技術・サービス』
 ボカロシーンには、シーンを下支えし発展に寄与したものであったり、ボカロから派生して誕生した様々な技術やネットワークサービスがある。その一つひとつをピックアップして分析・評価・考察する。例として「歌声合成技術」「VOCALOID」「UTAU」「Cevio」「MMD」「動画編集ソフト」「ニコニコ動画」「pixiv」「ピアプロ」「VOCALONOBIS」などが挙げられる。

・『ボカロ民俗文化論』
 ボカロシーンを支えているのは個々様々な属性のユーザーたちだ。「リスナー」「ボカロP」「○○してみた」「コスプレ」「絵師」「動画師」「MMDer」「トークロイド」「字書き」......それぞれのフィールドで関わるボカロユーザーの属性は他にも様々だ。そして、そんな彼らが会する場所と言えば「ニコニコ動画」「ボーマス」「マジカルミライ」であったり、あるいは「Twitter」や「2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる?)」などにも見られるだろう。ここでは、そういった様々な属性のユーザーたちによって実際の現場でどのような文化活動が行われているのか、それはどのような文脈から形成、定着していったものなのかなどを分析・考察する。

・『ボカロ表現論
 ボカロならではの表現、ボカロらしい表現とはどういうものがあるだろう。
 『ボカロ”を”表現』とするなら、ボカロをバーチャルアイドルと見立てた手法論で「VOCALOIDイメージソング」がある。ボカロシーンを俯瞰して制作された曲と言えば「Tell Your World」や「ODDS&ENDS」「砂の惑星」がそうだろう。少し違った視点で切り込めば、ボーカロイドを「ミーム生命体」として語る切り口もある。
 『ボカロ”で”表現』とするなら、「歌ってみろ」というタグが付くような「歌声合成技術」だからこそ歌えるようなハイピッチやハイトーンの曲もボカロらしい。「ray」のように「人間とボカロのデュエット」もボカロあってならではだ。「ボーカロイドたちがただ2コードくりかえすだけ」では本来想定されていたコーラスという「楽器としてのボカロ」という用い方もある。「FREELY TOMORROW」や「ビバハピ」に見られる人間性に接近させる試みはそれこそ「非人間性」から切り離されることのないテーマを持つボカロならではだろう。
 『ボカロ”が”表現』という切り口なら、ボカロの「透明性」というテーマが挙げられるだろう。この「透明性」は、「歌の魅力は歌手が決めている」というそれまでの一般の認識を覆し、作家としてのボカロPに光を当てることに成功した、ボーカロイドの持つ特異な性質として考察されている。また、一つの音楽・楽曲において「ボカロが主体で表現」している作品について、どんなジャンルでもひとまず「ボカロ音楽」とくくられてしまうという問題提起と、それを突破したと評価される「カゲロウプロジェクト」を発端に一時期流行した「プロジェクト系楽曲群」にも触れていくことが出来ると思われる。
こういった様々に見られる「ボカロと表現」が秘める性質について分析し、その文脈や意義を考察することが出来ると思われる。

・『ボカロコンテンツ論』
 ひとたび「ボカロ」という名詞で会話が始まったとして、そこにはどんな意味が込められているだろう。初音ミクや鏡音リンといった「キャラクターコンテンツ」としての話かもしれないし、「ボカロ音楽」の話かもしれない。いや、「歌声合成技術」という側面の話がしたいのかもしれない。「ボカロの○○が小説化/映画化するらしいよ」という時には「"私たちの文化"がここまで来たか」というニュアンスがどことなくあるような気がする。
 このようにボカロコンテンツについて語る時、大別して「キャラクター」「音楽」「技術」「コミュニティ」という文脈に分けられると思われる。これらの「要素の総意としてのボカロコンテンツ」という収束的な文脈を意識しつつ、各文脈がどのようなコンテンツとして受容、あるいは評価されているのか、各文脈で競合する他コンテンツとの比較などを行いながらその差異や類似性を分析し、考察する。
 それぞれの文脈の比較対象の例として、「キャラクターコンテンツ」なら「アイドルマスター」「東方Project」「艦隊これくしょん」など、「音楽」ならば分かりやすく「非ボカロ音楽」、「技術」については「DTM」や「音声合成技術」だろうか。「コミュニティ」としてならコミケに並ぶようなその他のジャンルそれぞれを比較対象としてみるのもよいかもしれない。


さて、ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございます。もしここまで読んで「納得いかない!」とか「こんな話があるけどどれに入るの?」とか「この話取りこぼしてない?」とかとか......。物申したいことございましたら是非コメントをしたりしなかったりしてください!(何ならオリジナルでvocanote書いちゃうとかね)。あと、私個人では専門的知識皆無ってくらいには知識が浅くて取り扱えない分野(特に「ボカロ音楽総論」)については、一応まとめてみましたけど色々とツッコミどころ満載の可能性もあってちょっとビビりながら恐る恐る(でも結局)書きました。ご容赦ください!(必至)。ともあれ、私の為のメモ書きみたいなものですが、他の誰かの役にも、どうせなら立ってくれたらいいなぁと思いながら、ここで締めたいと思います。

それではノシ


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