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青き空にとぶものは【#秋ピリカグランプリ2024】

「ばっちゃ。ねえ、ばっちゃ! 見てて!」

はいはい、とベンチから頷いてみせる。
ぷくりとした頬っぺたを引き締め、マサキが大きく振りかぶった。勢いだけは立派だが、5歳の幼児が投げた紙飛行機はふらふらと飛び惑い、あえなく地面に落ちる。

「しょぼっ!」

兄のユキトが笑うや、手首をぐねりとしならせて自分の紙飛行機をはなった。
6つの歳の差は大きい。風を掴んだ紙飛行機はつうぅと宙を滑り、遠く離れた芝生の上に音もなく着陸した。

「マサキの飛行機、全然飛ばねえじゃん。投げんのヘタ過ぎるし」
「これ、ユキト。マサキはまだ小さいんだから……」

遅かった。
幼いマサキの目にみるみる涙が浮かぶ。

「僕、もっと飛ぶの作る! アメリカまで届くぐらい、すごいの作るもん!」

ユキトがわざとらしく、ぶっと噴いた。

「紙の飛行機がアメリカまで飛ぶかよ。アタマわるっ」


――紙を、アメリカまで……?

兄と弟の他愛もないいさかいが、褪せた記憶の錆びついた扉を否応なしにこじ開ける。


私がまだ女学生、今のユキトより少しばかり年嵩だった頃だ。敗戦が近づいていることなど夢にも思わなかった、あの頃。

「和紙を貼り合わせて大きな風船をこしらえよ」

ある日突然に下されたお国の命令。
それが何のためのものなのか、知らされてもいなかった。

はらわたまでも凍りつくような真冬の工場で「草履はのりで滑るから」と素足のまま。どろりとした生臭いこんにゃく糊を和紙に塗って貼り、何度となくこすり合わせる。
誰の手もひどく荒れ、中には指の骨が見えている子もいたけれど、休むことなど許されるはずもなく、直径10mはある巨大な風船を来る日も来る日も作り続けた。

それが『ふ号兵器』、俗に言う風船爆弾として日本がアメリカ本土へ向けて飛ばした兵器であることを知ったのは、戦争が終わってしばらく後のことだ。
時速300kmの偏西風に乗れば、日本からアメリカまでは2日半で到達するらしい。だが何千と放たれて大陸まで届いたのはわずか数百、しかも大半が不発弾だったという。そんな ”極秘決戦兵器” を作るのに国力を注いでいた時、の国で開発されていたのは……


「……ばっちゃ?」

ふと気づくと、二人がすぐ目の前で私の顔を覗き込んでいた。

「ねえ、ばっちゃ。僕の飛行機、アメリカまで届く?」

私はマサキの頭をそっと撫でた。

「――お空の高いところにはね、強い強い風が吹いてるの。それに乗ればもしかしたら……届くかもしれないねえ」

ほら! とマサキが隣を仰ぎ見た。ユキトは面白くないのか、そっぽを向いたままだ。

「だからお兄ちゃんに教えてもらいなさい。ユキトは作るのも投げるのも、とっても上手だからね」

二人は揃って、ぱっと顔を輝かせた。


「だからこうだよ、こう! もっと上見て投げろ。下向くと落ちるから!」

眩しいほどに白い紙飛行機がふたつ、青い空へと放たれる。

これでいい。これでいいのだ。
夢をのせて光をのせて、どこまでも高く遠く翔んでゆけ。


(1195字)


【あとがき】
お読みいただき、ありがとうございます。
『ピリカグランプリ』初参戦の秋田柴子です。
「忖度なんて、遠慮なんて要りません」という主催者様の熱いお言葉に惹かれてやって参りました。
皆さま、どうぞよろしくお願いいたします!

*この記事は、以下の企画に参加しております。

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