見出し画像

【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第2章 ① 葬儀

←  前の話・1ー③ 海還葬


歳を取ると、月日の流れは年ごとに早くなる。
それから二年の時が経った。

「はあ、やっと終わったか。やれやれ、こういうものは仕方ないとはいえ、ひどく疲れるもんだな。沙和子もお疲れさん」

家に帰るなり喪服を脱ぎ捨てた晃雄は、凝りをほぐすように首や肩をぐるぐると回した。
三日前、晃雄の父である和正が亡くなった。最晩年はヘルパーの手も借りてはいたものの、最期まで自宅住まいで92歳の大往生を遂げたとあって、葬儀の場でも嘆きというよりは、驚きと称賛の声の方が高いほどだった。

「晃雄さんこそ……いろいろ大変だったでしょう。本当にお疲れさまでした」

晃雄の脱いだ喪服をソファから拾い上げながら、沙和子も丁寧にねぎらいを返す。早々に気軽な部屋着に着替えた晃雄は、さっそく冷蔵庫の扉を開けながら答えた。

「ああ、まあね。でもしょうがないよ、それも長男の義務だから。それなりに立派な葬式だったから、親父も満足したんじゃないか? 親戚筋や弔問客からの評判も上々だったみたいだし、まずはほっとしたよ。やっぱり世間の目もあるし、変な葬式出せないからね」

よく冷えたビールを喉に流し込んだ晃雄は、満足そうに声を上げた。

いくら平均寿命が延びたとはいえ、さすがに九十代ともなると、故人の友人知己はすでに鬼籍に入っているか、あるいは高齢者施設へ入居している場合がほとんどだ。従って葬儀の参列者の大半は、晃雄の職場に関係する人間だった。現役経産省官僚のご尊父逝去とあらば、放っておいても人は馳せ参じる。表立っての香典や供物・供花は禁じられている政治家も、あれこれと送り主の名をいじり回しては、何とかお気持ち●●●●を送り届けるのに余念がない。しかも故人の和正自身が大蔵省時代からのOBとあらば、そのパイプは細いながらもいまだに健在だった。

まだフォーマル姿のままの沙和子は、晃雄の喪服のポケットから諸々の小物を取り出しながら頷いた。

「そうね。すごく盛大っていうか、とにかく大変な人数だったわ。私も喪主の妻っていうことで、斎場の人やあなたの職場の方からしょっちゅう声かけられて、申し訳ないけどお義父さんのお顔、ほとんど見てないぐらいだったのよ」

晃雄はいかにも参ったような顔で笑った。

「判る判る、僕なんか棺にも近寄れないぐらいでさ――でもあれだな、大樹がいてくれたおかげでだいぶ助かったよ。民間といえどもフジタぐらいの大手になると、多少は人間が磨かれるものなのかな」

沙和子は思わず苦笑した。

「だって大樹ももう三十を越えたんだもの。それに結依が控室でいろいろ気を回してくれて、私もすごく助かったわ。とにかくお客さんが多い上に、お義母さんがだいぶ参っていらしたから」

斎場であちこちに気を配っていた沙和子の目から見ると、二人の子供のうち兄の大樹だいきは、正直言えば、いささか指示待ちのようにも見えた。誰かに声をかけられればスマートに受け答えをするが、自分から目配りして動いているようには見えない。
その一方で、妹の結依は表にこそ立たないが、そのぶん裏方でテキパキと動いていた。沙和子の気づかない細かな部分まで気を回してくれる手際の良さに、内心ずいぶん驚いたものだ。夫を亡くして気落ちしている芳江に終始寄り添ってくれていたのも、やはり結依だった。
母親のことが話題になると、晃雄は考え込むように腕を組んだ。

「まあ、なまじこれまで親父が元気だったからな。これが長く病院や施設に入ってたっていうのなら、それなりに覚悟もできてたんだろうが。いずれにせよショックだろうから、これからは母さんの様子も気をつけてやらないと」

「あのね、結依が言うのよ。『お祖母ちゃんもだいぶ衰えてきてるから、そろそろ施設のことも考えた方がいいんじゃないか』って。確かに最近のお義母さんはかなり足腰も弱ってきてるし、会話の方もちょっと……」

「――結依は何を言ってるんだ。普段この家に住んでない奴に判る話じゃないだろう」

途端に晃雄が声を尖らせる。今はこんな話をすべき時ではないと頭では判っていたのに、つい流れで娘との会話を話してしまった沙和子は慌てて取りなした。

「いえ、そうじゃないのよ。私がたまにお義母さんの様子をあの子に話すから、それで……」
「沙和子が言ってるのか? 母さんがボケてるって?」

静かだが明らかに固い声色に、沙和子は胃が縮むような思いがした。やはりこんな話をすべきではなかったのだ。だが日頃仕事で忙しい晃雄が、家の中の芳江の様子をほとんど把握していないのもまた事実だった。

「そんなこと言ってないわ。ただ近頃のお義母さんはできないことも増えてきたから、このままだとまずいかもしれないと思って……何かできることがあれば、早めに手を打った方がいいんじゃないかと思っただけ。ほら、最近はある程度、お薬で衰えを抑えることができるでしょう? 結依は『体を動かした方がいいから、通所リハビリに行ったらどうか』って。それなら一日のうち私も少し時間が……」

気を遣って  “認知症” を “衰え” と言い替えたにもかかわらず、晃雄の不快そうな口調は変わらなかった。

「今だってヘルパーさんは来てるだろう? しかもそれなりのお金払ってるから、かなりの時間を面倒見てくれてるはずだよね? 確か簡単なリハビリもしてくれてるって聞いてたけど。だったら通所リハなんか必要ないじゃないか。何言ってるんだ、結依は。あいつは本当に何も判ってないな」

沙和子は心の中で秘かにため息をついた。
確かに晃雄の言うとおり、義父の和正がいた頃からヘルパーは入ってくれている。だが外部の人間が出入りすれば鍵の問題も発生するし、いくら広い家とはいえ、スタッフが体操だの入浴だのの世話を焼いていれば、嫌でもその様子は目に入る。常に家にいる沙和子としては、何かと落ち着かないのは事実だった。
一日にたとえ数時間でも芳江が外に出かけてくれれば、沙和子としてはかなり気分が楽になる。それに普段家に引きこもっている芳江自身も、たまには外出すれば気分転換になるかもしれないという結依の主張には、沙和子も深く頷けるものがあった。

「ヘルパーさんは確かによくやって下さってるわ。でもお義母さんもいろいろ仰るのよ。若い子は気が利かないとか、カタコトの日本語しか話せないような人に面倒見てほしくないとか……」

最近は介護の世界も外国人のスタッフが増えている。事実、芳江を担当してくれる専属スタッフのうちの何人かは外国人だ。
それを聞いた晃雄は、あからさまに顔をしかめた。

「そりゃそうだろう。身の回りのことを他人に任せるっていうだけでそれなりに気を遣うんだから、それが外国人だと余計に気疲れするのは当たり前じゃないか。そうか、知らなかった。あそこの会社はスタッフに外国人を入れてるのか。じゃあ解約した方がいいな。ちゃんと全員日本人スタッフで固めてるところじゃないと……」

あまりに性急な晃雄の発言に、沙和子は仰天した。沙和子の目から見ると、たとえどこの国籍の人であろうと、みんな一生懸命芳江の世話をしてくれている人ばかりだ。それに介護はとかく長年の信頼関係が物を言う。長く勤めてくれている人たちだからこそ勝手が判るという状況は、一朝一夕に得られるものではない。

「外国人だからだめなんてことは全然ないのよ。皆さん、とても優しくて熱心な方ばかりよ。言葉だって確かに外国の人っていうのは判るけど、片言なんてことは全くないわ。よっぽど難しい単語や複雑な会話をしない限りは、特に問題なく……」

だが晃雄はあっさりと沙和子の言葉を退けた。

「でも母さんは通じなくて不安に思ってるんだろ? じゃあ困るじゃないか。そのサービスを受けてるのは、沙和子じゃなくて母さんなんだからさ。さっそく変更の手配をするよ。大丈夫、僕に任せておいて。ちゃんといいところを見つけておくからね。介護関係に詳しい知り合いが何人かいるから、そいつらに頼めば……」

さっそくネットであれこれ調べ始めた夫の後ろ姿を見つめると、沙和子は喉元まで出かかったため息を呑み込んで、静かに部屋を出ていった。


←  前の話・1ー③ 海還葬    次の話・2-② 違和感 →

最初から読む



お読み下さってありがとうございます。 よろしければサポート頂けると、とても励みになります! 頂いたサポートは、書籍購入費として大切に使わせて頂きます。