モテない陰キャな俺がレンタル彼女を呼んだら美少女が来た。彼女に惚れる俺だったが、実は俺が利用したのは彼女ではなく恋心をレンタルするサービスで…

『ずっと前から好きでした! 私と、付き合ってください……!』
 茜色に染まる教室で、夕陽に負けないくらい頬を真っ赤にした女の子が、俺の目をまっすぐに見て震える声で言う。
『俺でよかったら、喜んで』
『嬉しい……! 宮村くん、大好き……!』
 二人きりの教室で、彼女は俺に抱きついてきた。
 ……まぁ、全部俺――宮村太智みやむらたいちの妄想なんだけど。
「はぁ……結局、高校生活で彼女、できなかったな」
「どんまい太智、もう俺はとっくに諦めたわ」
 そう言って笑うのは、俺の親友の工藤文人くどうあやと。こいつは、顔はそれなりにかっこいいのに、女の子の告白を『俺、プログラミングにしか興味ないから』と言って断ってしまう変人だ。
 今はアプリ開発をしているらしいが、話を聞いても俺はまったく理解できなかった。でも、生き生きと語るこいつの表情は嫌いじゃなかった。
「なんでお前が女の子に告白されるのに、俺は一度も告白されないんだよ~……」
 そんな泣き言だって言いたくなる。
 アニメや漫画を読んだ俺は、高校生になったら彼女ができるものと期待していた。けれど、一年経っても、二年経っても、彼女はできず……。
 茜色に染まる教室で、卒業間際、親友と二人きりの教室でおしゃべりする。
 それも誰かは『青春だ』って言うのかもしれないけど、俺はもっと、胸がドキドキするような思い出がほしかった。
「そりゃ、あれだ。やっぱり夢中になってるものがある人は何か惹かれる部分があるんじゃないか」
「……そんな正論言わないでくれ」
「悪い悪い」
 俺だって、文人みたいに夢中になれる何かがほしかった。だけど――。
「あ、そうだ、ちょっとスマホ貸してくれ」
「また実験か?」
 文人は、パソコン(学校には持ち込み禁止だ)と俺のスマホをつなぎ、何やら操作しはじめる。
 文人が『スマホを貸してくれ』と言う時は、決まって開発中のアプリの試運転をさせられる。メモアプリからはじまり、写真アプリやミニゲームと質が上がっていき、今回は――。
「ほら。インストールしてやったぞ」
「何これ? 『レンタル・ラブ』? ……名前だっさ。お前のネーミングセンス、どうにかならないの?」
 俺のスマホには、ハートマークのアイコンのアプリがインストールされていた。その下には、『レンタル・ラブ』と文字があった。
 文人のアプリは、かなり出来がいいのにいまいち伸びないのは、絶対にネーミングセンスが原因だと思う。
「名前はいいんだよ! せっかくお前のために作ってやったんだから」
「……俺のために?」
「起動して説明読んでみろ」
「ほーい」
 言われるがままに起動して『使い方』の部分を読む。
「えっと、なになに……このアプリは、モテないあなたのために開発された恋愛疑似体験サービスです。かわいい彼女をレンタルし、恋のドキドキを味わいましょう♡ 現実ではできなくても、このアプリなら最高の体験ができるでしょう。……喧嘩売ってんのか」
「大丈夫、試作版でどこにも公開されてないから」
「……俺のためにわざわざありがとう」
 俺の嫌みに、文人は「まぁな」とちょっと照れていた……うぜぇ。
 苛立ちながらも、メイン画面にすすむと、女の子の写真が並んでいた。
「へぇ。結構人数いるんだな」
「試作版だから、どの女の子選んでも同じ子になるんだけどな」
「まじかよ。うわ、ほんとだ」
 ためしに、ショートカットの女の子を選んでみても、ロングヘアの女の子を選んでみても、出てくるのは『宝生菜乃花ほうしょうなのか』という女の子だった。
 黒髪のストレートヘアを肩の下まで伸ばした清楚な感じの子で、ぱっちりした目をかすかに細めて笑っている。可愛い子だ。でも……。
「これって、つまり、『レンタル彼女』なんだよな?」
 俺の存在くらいは知っている。一時間いくらと料金が決まっていて、その料金を払うと彼女のふりをしてくれる、というサービスだ。
 というか、わざわざアプリなんか作らなくても、普通にWEBページでいいんじゃないだろうか。練習のために作ったのか……?
「ほんとにこの子、呼べるのか?」
「もちろんだ。ちなみに初回は特別に無料だからな。ほら、早くレンタルしてみろ」
「……えぇ」
 文人がやたらとキラキラした目で俺を見てくる。
 文人に言われるまま、俺は日時を入力し、『彼女と恋をする♡』をタップしていた。
「あ、そうだ。俺、しばらく開発で忙しくて学校に来られないし、LINEしても返事できないから。あとで感想聞かせてくれよ」
 もうすぐ自由登校の期間だし、文人が開発に夢中になってLINEの返事がおろそかになるのはいつものことだ。
「……わかったよ」
 答えながら俺は、どうせすぐに文人と会うことになるんだろうなと思っていた。
 俺がレンタル彼女を待っていたら、文人が現れたりして、『残念、俺でした!』とか言って気合いを入れておしゃれをしてきた俺を笑うんだろう。
 ……まぁ、いいや、どうせ暇だし。それはそれで悪くない。


 ――と、思っていたのだけれど。
「あの、初めましてっ。宮村太智くん、ですよね?」
 冷たい風が俺の体をすり抜けていく、二月のとある週末のこと。
「私、宝生菜乃花です。私を選んでくれてありがとう」
 待ち合わせ場所の駅で俺がぼーっと突っ立っていると、予約した十三時ちょうどに鈴を転がすような声で話しかけられた。
 その瞬間、俺の胸はドキッと痛いくらいに高鳴った。
「今日は精いっぱい楽しもうね……?」
 にこっ。そんな効果音が聞こえるような、完璧な笑顔。
(マジかよ。本当に来るなんて……しかも)
 彼女――宝生菜乃花さんは、写真で見るよりもかなり可愛かった。
 キャメルのダッフルコートで小柄な体を包み、白いミニスカートからちらちら膝がのぞいている。ブーツで引き締めた足はすらりと長かった。
 そして、人形のように整った顔立ちに、ふんわりとしたやさしげな笑みを浮かべて、俺をじっと見ている。
「じゃ、行こっか」
 宝生さんは、俺の手のひらをぎゅっとにぎった。
 その瞬間、顔が燃えるように熱くなる。さっきから心臓の鼓動は痛いくらいに速くて、手の平からじわりと汗がにじんだ。
「あ、あの……て、手……!」
 からからに渇いた喉は、きっと乾燥のせいだけじゃない。
 自分でも気持ち悪いと思うくらいにどもってしまったが、宝生さんは首を小さくかしげ、
「嫌だった……?」
 悲しげに寄せられた眉に、俺の胸もズキッとして、
「い、嫌じゃ、な、ないけど……」
 と、なんとか言葉を絞り出した。
「えへへっ、よかった」
 宝生さんは頬を染め、唇をほころばせた。
(すげードキドキする……)
 宝生さんのやわらかい手に導かれるように、俺は歩いていく。
 宝生さんが俺に話しかけていたけど、この時の会話なんて俺はまったく覚えていなかった。
(なんだこれ……まさか俺、この子に一目惚れしたのか……?)
 ドキドキと、それを上回るくらいの困惑が、俺の胸を満たしていた。
 そりゃ、俺だって可愛い子と付き合えたらいいなー、って妄想くらいはする。
 だけど、クラスの女子とも普通に話すし、クラスで一番モテる女子に優しく笑顔を向けられたことだってあった。
 もちろん、かわいいな、とドキッとすることなんて何度もあったけど、それくらいで誰かを好きになったりなんてしたことがなかった。
 それなのに――。
(あぁ、俺、この子のこと、すげー好きだ……)
 よく知りもしない会ったばかりのこの女の子のことが、俺は愛おしくてたまらなかった。

 三時間コース(初回無料)。
 その内訳は、映画を見て二時間、その後カフェで過ごして一時間。
 ちなみに、映画を提案したのは俺だ。レンタル彼女を頼むのに映画もどうかと思ったが、宝生さんと話していると落ち着かなくて、逃げ出したくなって、どうしようもなかったのだ。
 でも、映画を見ている間も、宝生さんは優しく俺の手を握り続けてくれていた。おかげで映画の内容は全く頭に入らなくて、カフェで感想を求められても、何も答えられなかった。
 いつ文人が『ドッキリでした』とか言って出てくるか気が気じゃなかったが、彼が来ないままレンタル終了の十分前を迎えていた。
(どうしよう……)
 すっかり冷めたコーヒーを前に、俺は懊悩していた。
 宝生さんは、今はお手洗いに行って席を外している。
(こういう時って、男がお会計払うんだっけ? それで、今日のデートも終わりで……)
 今だって、ドキドキしすぎて走って逃げたいくらいだ。それなのに、この時間が終わってしまうのが、胸が引き裂かれるようで。
(終わりたくない……そうだ、延長!)
 確か、レンタル彼女って延長もできたはずだ。文人に課金するなんて悔しいけど、そんなことはどうだっていい。俺は、宝生さんと離れたくなかった。
 俺は、慌ててアプリを開く。だが、通信エラーなのか画面は全く読み込んでくれない。
 五分ほど粘ってみたが画面は固まったままで、俺は諦めてアプリを閉じた。
(ま、いいか。宝生さんに直接払えば)
 俺は緊張しながら宝生さんを待っていたのだが……。
 気がつくと、スマホの時刻は15:59を示している。宝生さんが席を外してから、もう十分近く時間が経っていた。
(いくらなんでも遅くないか? 具合でも悪いのか……?)
 俺は心配になり席を立つ。――その瞬間だった。
「え……?」
 俺を支配していた、高揚感も、胸のときめきも、緊張も、切なさも、体から抜け落ちたように消えていた。
 火照っていた頬は凍りつきそうなくらい冷たくなっていて、
(あれ? なんで俺、あの子のことあんなに好きだったんだっけ……?)
 立ち上がったまま、頭は真っ白で動けなかった。
 俺の視界の隅で、スマホの通知が目に入った。
『レンタル・ラブ:レンタル時間が終了しました』
 スマホの時刻は、16:00ちょうどだった。

(なんだろう、こんなにすぐに好きになって、急に冷めるなんて……俺ってこんな性格だったっけ? それに、冷めるにしても……蛙化現象? とか言うけど、菜乃花ちゃんが何かしたわけでもないのにな……)
 家に帰っても、俺はぼーっとしたまま何も手につかなかった。
 カフェのお会計は、いつの間にか宝生さんが払ってくれていたらしい。伝票がない席で焦っていると、店員さんがそう教えてくれた。
 ――彼女さんなら、先に帰られましたよ、と。
 自室のベッドの上でゴロゴロしながら、『レンタル・ラブ』のアプリを立ち上げる。今度はすぐに繋がった。
『初レンタルの感想をお聞かせください♡ よろしかったらレビューをお願いします』
「……うぜぇ」
 さっきは繋がらなかったくせに、なんなんだ。しかも、レビューの催促してんじゃねぇよ。
『いいえ、また今度にします』をタップし、俺は改めて使い方を開いた。
 ――このアプリは、モテないあなたのために開発された恋愛疑似体験サービスです。かわいい彼女をレンタルし、恋のドキドキを味わいましょう♡ 現実ではできなくても、このアプリなら最高の体験ができるでしょう。
 相変わらずの腹立たしい文章だ。
「……って、あれ?」
 よく見るとさらにスクロールでき、文章は続いていた。
 ――お気に入りの彼女を見つけたら、『彼女と恋をする♡』をタップし、彼女とのデートを申し込みましょう。予約時間が来ると、彼女への『恋心』はレンタル開始となります。レンタルが終了すると、彼女への『恋心』は消えてなくなります。
「……は?」
 全身がぞわりと粟立った。
『恋心』をレンタル……?
 そういえば、俺はこのアプリを勝手に『レンタル彼女』サービスだと思っていた。けれど、よくよく考えてみれば、このアプリに『レンタル彼女』なんて表記はされていなかったのだ。
 スマホを持つ手が震え、視界が揺れる。まだ続きの文章があった。

 ♡よくある質問♡
 Q:レンタルの延長はできますか?
 A:残念ながらできません。時間は三時間コースのみになります。
 あまり長い時間レンタルしてしまいますと、レンタルした気持ちを本物だと錯覚してしまい、現実から戻ってこられなくなってしまう可能性があるからです。

「……おいおいおいおい」
 さらっとすげーこと言ってるぞ。
 俺は自分の胸にそっと触れてみる。
 さっきまでの胸を焦がすような宝生さんへの熱い気持ちは、すっかり消えていて。
「マジでそうなの? 本当に恋をレンタルしたのか……?」
 文人に電話をかけてみたが、案の定繋がらない。
 俺はまた例のアプリを開いてみる。

 Q:レンタル料金はいくらですか?

 仮にこれが本当だとしたら、とんでもないことだ。
 料金だってきっと、学生の俺なんかじゃ払えない金額で……。

 A:一時間あたり2000円になります。

「えぇー……」
 それでいいのかよ……。普通のレンタル彼女だってもっとするんじゃないのか?
 内心そうツッコみながらも、俺は財布の中身を確認していたのだった……。


(またレンタルしちゃったよ……本当に大丈夫なのか?)
 一週間後の休日の十三時。俺は、前回宝生さんと待ち合わせした駅で彼女のことを待っていた。
 俺は、あの現実から戻ってこられなくなるという言葉にちょっと怖じ気づいていた。
 それなのにこんな危険なアプリを使ってしまったのは、単なる好奇心なのか、それとも――。
「こんにちはっ、太智くん。またレンタルしてくれてありがとう」
 レンタル開始時間ちょうどに、宝生さんが駆け寄ってきた。
 今日は前回とは違う服装で、白のニットワンピースにロングコートを合わせて大人っぽい感じになっていた。髪もふんわりと巻かれていて、彼女の動きに合わせて揺れる。
「……」
(うわ、なんて綺麗なんだ、この子……)
俺は言葉を失った。今回はどこか身近な存在に感じられていた前回と違って、品がありどこかのお嬢さまのようで――。俺なんかが気軽に話していい存在なのかと、困ってしまうくらい美しくて……。
「あの……ご、ごめんなさい!」
 固まる俺の前で、彼女は突然頭を下げた。
 え? と俺が困惑していると、
「前回は、その、突然帰っちゃって……本当にごめんなさい」
「あ、あぁ、いや、いいんだけど……」
 そういえばそうだった。あまりにも不思議なことが起きていたから忘れていたっけ。
「どうしたの? 具合でも悪かった? ちゃんと帰れた?」
「は、はい。ちょっと急にお腹が痛くなっちゃって……ごめんなさい。私、勝手なことしたのに、心配してくれるなんて太智くんは優しいね」
 宝生さんは、うるんだような目で俺を見上げる。
「俺なんて別に……宝生さんが無事ならそれで……」
 本当は心配なんてそんなにしていなかったのに、なんだか気まずくて俺が目をそらしてしまうと……。
「菜乃花」
「え?」
「菜乃花って呼んでよ。私たち、恋人同士でしょ?」
 俺の顔を覗き込むようにして、宝生さんが恥ずかしそうに言った。
 その頬は赤く染まっていて、本当に俺の彼女なんだと錯覚してしまうくらいには、彼女の演技は完璧で――。
「わ、わかったよ。菜乃花……ちゃん」
 ドギマギしながら俺が答えると、宝生さん――菜乃花ちゃんは照れたように「うんっ」と笑った。

 今回のデートは水族館だ。
 ネットで『デート 失敗しない』と検索して、おすすめされていたのが水族館だったというなんとも情けない理由だったけれど。
「わぁ、すごいね……!」
 菜乃花ちゃんは目を輝かせて水槽を食い入るように見ていたから、結果としてよかったんじゃないかと思う。
 緊張して会話ができない俺にとっても、水族館は気まずくならなくて大正解だった。
 菜乃花ちゃんの手を握り、ゆっくりと順路をまわっていく。
「ねぇ、太智くん。イルカショーもあるんだって。見ようよ」
「いいね。えっと、時間は、十六時から……あ」
 ちょうどレンタルが終了する時間が十六時だった。そのことに気づいた菜乃花ちゃんは、気まずそうに目を伏せた。
「あー……ショーはまた今度にしようよ」
 俺がそう言って笑うと、菜乃花ちゃんは安心したように笑みを返した。
「そうだね。残念だけど……また一緒に来ようね!」
 そして、さらにぎゅっと力を込めて俺の手を握り返してくる。
 俺はなんだかそれが、彼女の罪滅ぼしのように思えて……。
(菜乃花ちゃんは、俺が時間過ぎても強要するように思ったのかな……。そんなことしないのに……ていうか、残念なんて思ってないんだろうな……)
 彼女は俺のことなんて何とも思っていない。ただの客としか。
 前回は、一緒にいられるだけでドキドキして、それだけでよかった。でも、まだ二回目なのに、こんな風に彼女を不満に思うなんて……。
 自分の気持ちをごまかすように、俺は水槽を真剣に眺めた。
 水槽に反射した菜乃花ちゃんの顔は、ほんのり赤く染まっている。完璧な彼女として振る舞える菜乃花ちゃんに、胸の中に黒い靄が広がっていった。

「ねぇ、太智くん。ひとつ疑問だったんだけど」
 水族館からの帰り。駅へと向かう道を手をつないで歩いていると、菜乃花ちゃんが尋ねてきた。
「前回……その、レンタルの時間が終わった時、『あんな子好きになりたくなかった』って思ったりしなかった?」
「……え? 全然」
「そ、そっか……」
 そっか、と、反芻するように彼女は呟いた。
 その声はうれしそうに弾んでいた……と思うのは、俺の思い上がりだろうか。
「よかったら、またレンタルしてね? 私も、また太智くんに会えたら、うれしい……」
「うん……」
「約束、だよ?」
 その眼差しがあまりにも真剣で、俺は言葉につまった。
 どうして、そんなに切実そうなんだろう。
 俺たちは今は恋人だけど、本物じゃなくて偽物で、それに好きなのは俺だけなのに……。
「あのさ、菜乃花ちゃん、俺……」
 俺が言いかけたその時。
「あっ……ごめん、電話だ!」
 菜乃花ちゃんは突然そう言ってスマホを鞄から取り出すと、「もしもしー?」と、どこかへ走って行ってしまった。
 耳に押し当てていたスマホは、真っ黒の画面のままだった。
「菜乃花ちゃん?」
 瞬間、俺の心はすっと冷静になり、さっきまで感じていたドロドロした感情もほとんど消えていることに気がついた。
「なんなんだ、一体……」
 俺はスマホを確認する。時間は十六時ちょうどで、『レンタル・ラブ:レンタル時間が終了しました』と、アプリから通知が来ていた。


(さっきの、絶対演技だったよな……)
 家へ向かいながら、俺は菜乃花ちゃんの真意がわからず、途方に暮れていた。
 初回も途中で帰ってしまったが、お腹が痛くなったと言っていた。そして今回は、電話が来たと言っていたが、明らかにおかしかった。
 鈍い俺だってさすがにわかる。彼女は、レンタルが終わる時間を俺といることを避けているのだと。
(一回目ならともかく、二回目はそうなるってわかって来たのに……夢から覚めるところを見せないようにするためとか……?)
 ……なんだか、シンデレラみたいだ。
 そう考えて、ちょっと笑ってしまった。
 その時だった。
「なーに笑ってんの」
 声をかけられ、息が止まりそうになる。
 俺の幼馴染の河合小百合かわいさゆりが、彼氏と一緒にこちらへ向かってきていた。
「ていうかさ、さっきの子、誰!? 太智の彼女!? 可愛すぎじゃない!?」
「そんなんじゃねーよ」
「嘘。デレデレだったくせに~」
「お前ほどじゃないから」
「え~? 照れる~」
「……ほめてねーし」
 真っ赤な顔で俺の肩をばんばん叩く小百合に、彼氏は苦笑している。
「俺のことはいいからさっさと行けよ。せっかく大好きな彼氏とデートなんだから」
「そこまで言うならわかったよー。私、太智とも話したかったんだけどなぁ」
(……冗談じゃない)
 小百合の不満げな表情に、俺はなんだかイライラして、スマホをいじるふりをして彼女との会話を絶った。
 離れていく二人を見ながら、俺はほぼ無意識にアプリを起動し、『彼女と恋をする♡』をタップしていた。
 高校時代にどうしても、彼女がほしかった。
 それは、健全な男子高校生なら誰だって考えることだと思う。
 アニメや漫画みたいな恋をしてみたかった。
 そんな憧れを抱くのだって、普通のことだと思う。
 ――だって。
(なんで漫画の幼馴染って、絶対に主人公のこと好きなんだよ。現実じゃ、ありえないのに……)
 好きだった幼馴染に中学時代に失恋して、高校時代こそは、と思った。
 だけど、現実はやっぱり上手くいかなくて。
(いいや、たとえ嘘でも、忘れられるなら……)
『予約が完了しました♡』の画面を眺め、俺は無理やりほほえんだ。


 そうして、菜乃花ちゃんとのデートを何度か重ねるようになったある日のこと。
「また会えたね、うれしい……!」
 レンタル開始時間になると、菜乃花ちゃんへの愛しさが猛烈に湧き上がってきて、自分が自分じゃないような気持ちになってくる。
「……今日は遊園地デート、楽しみだね」
 うれしそうに言うと、菜乃花ちゃんは俺の手を握ってくる。
「そ、そうだな……」
 普通の恋愛だったら、何度もデートしていたら、だんだん相手に緊張しなくなっていくのだと思う。
 でも、俺は菜乃花ちゃんと何度会っても、この逃げ出したい緊張感が薄まることはなかった。
「どこから行く? 私は……」
 彼女が俺に向かって何か話している。俺はそれに答える。彼女はうれしそうに笑う。
 レンタルが終わると、なんだか急に空しい気持ちに襲われる。だから俺は、その虚しさを埋めるように、彼女を、いや、恋心をレンタルし続けていた。
 でも、もう貯金していたお年玉も、全部使い果たしてしまった。いくら本物のレンタル彼女より破格の値段とは言え、働いていない学生が払い続けられる額でもない。
 それに――。
(俺、絶対頭おかしくなってるよな……)
 最近は、レンタルしていない時でも、菜乃花ちゃんのことが頭から離れなくなっていた。
 ――あまり長い時間レンタルしてしまいますと、レンタルした気持ちを本物だと錯覚してしまい、現実から戻ってこられなくなってしまう可能性があるからです
 アプリの使い方にあったあの文章を思い出す。
 いくら三時間とはいえ、何度も繰り返しているから、俺もこの気持ちを本物だと思ってしまってるんだろう。……だから。
「ねぇ、ぼーっとして……どうしたの?」
 菜乃花ちゃんが心配そうに言ってきたのは、俺たちが二人きりで観覧車に乗っている時だった。
「ああ、いや、ごめん。なんでもないよ」
「さっきからずっと時計ばっかり見てるし……もしかして、つまらなかった?」
「……そんなわけないよ。ただ、もうすぐ終わっちゃうのがさみしくて……」
「私も、太智くんと同じ気持ちなんだよ」
 菜乃花ちゃんの顔に、夕陽が差し込む。
「私だって、デート、終わっちゃうの嫌なんだよ。でも、辛くても……ううん、辛いからこそ、限られた時間を楽しまなきゃ……ね?」
 切なそうな表情が夕陽に照らされて、まるで映画のワンシーンのようだった。それはまさに、俺が憧れた青春そのもので……。
「そんなわけないだろ」
 彼女があまりにも綺麗すぎたから。だから、それは作り物なんだと嫌でも突きつけられる。
「え?」
「俺は、本当に菜乃花ちゃんのことが好きなのに……菜乃花ちゃんは俺のことなんて、客としか思ってないんだろ」
「そんな……私は……」
 彼女の顔が絶望でみるみる歪んでいく。その表情すら憎らしいくらい完璧だった。
「演技、上手いね。どうせ手を抜いたって、俺は菜乃花ちゃんを好きに決まってるのに」
「え、演技なんかじゃ……」
 菜乃花ちゃんが睫毛をふせる。と同時に、涙がぽたりと落ちていった。
 泣かせたくなんてなかった。だけど、自分のために泣いてくれたんだと思うとうれしかった。
 観覧車を降りた俺たちは無言だった。いつも平和だった俺たちが、こんなことになるのははじめてだった。
 ぐちゃぐちゃの心で、俺は彼女に告げた。
「嫌なこと言ってごめん。菜乃花ちゃん、今までありがとう。楽しかった」
 彼女の返事を聞く前に、俺はその場から立ち去った。そして、震える指で、あのアプリをアンインストールした。


 菜乃花ちゃんと会わなくなって、一ヶ月が経とうとしていた。
 久しぶりの登校日、俺はいつもなら遅刻ギリギリの時間に登校する学校に、誰よりも早く登校していた。
 それはもちろん、文人と話すためだ。
「おい、文人!」
「おー、久しぶり。なんだよ、すごい剣幕で」
「お前……お前……なんつーものを作ったんだ! 俺を人体実験にするな! マジで……もう……頭がおかしくなるかと思ったんだけど……!」
「は、はぁ? 何言ってんのお前……」
 文人は、俺たちを引き気味で見ているクラスメイトの視線を感じ、俺に困惑したような視線を向けた。
「さっきからよくわかんねーけど落ち着けよ。いやまぁ、お前を騙すような真似をしたのは悪かったと思ってるよ。でも、宝生さんに頼まれたんだよ。お前が好きだから、仲良くなるきっかけがほしいって」
「は……?」
 こいつは一体、何を言ってるんだ……?
「……あ、お前、宝生さんのこと好きになったんだ! いやいや、それにしても取り乱しすぎだろ。もしかして初恋だったりする?」
 なぜか文人は、納得したように笑顔を見せる。
「ちげーって。だから……お前、レンタル彼女とか言って、本当は恋心をレンタルするアプリ作ったんだろ?」
「恋心をレンタル……? そんなことできるわけねーだろ」
 文人は、当たり前のようにそう言い放った。
「は!?」
「俺が作ったのは普通のレンタル彼女のアプリだよ。宝生さんと太智をデートさせるためだけに作った……な」
「……」
「よかったよかった。仲良くなれたみたいだな」
 一人納得する文人をよそに、戸惑いが広がっていく。
 本当にあのアプリは文人の仕業ではないようだった。
 これは一体、どういうことなんだ……?

 その後、しつこく「宝生さんとのこと、聞かせろよ~」とニヤニヤしながら聞いてくる文人を無視し、俺は屋上へ向かっていた。
 本当は、卒業式の予行練習があるのだが、とても参加する気分になれない。
 屋上のドアを開けると、フェンスに寄りかかっていた女子生徒がこちらを見た。
「……え?」
「あ……」
 彼女と、目があう。
 大きな目を見開き、固まっている彼女。見間違えるわけがない。
「な、菜乃花ちゃん……?」
「太智……くん」
 会う時は毎回私服姿だった。だから思いもしなかった。
 ――彼女が、同じ学校に通っていたなんて。
「ひ、久しぶり。元気、だった?」
「はい……太智く……先輩はお元気でしたか?」
 俺の学校の制服を着ている彼女は、なんだか別人みたいに見えた。
 リボンの色は緑だから一年生のようだ。
「いいのに。敬語なんて使わないでよ」
 菜乃花ちゃんは困ったようにうなずいた。
 聞きたいことはたくさんあった。でも、彼女は今にも泣き出しそうな表情でうつむいている。
「この間はごめんね。菜乃花ちゃんのことが好きすぎて、どうかしてた、俺」
 苦笑いを浮かべながらそう言うと、彼女はますます瞳をうるませた。
「……やだ」
「え?」
「そんな冷静な太智くん、やだ」
 後輩だと知ったからか、彼女はいつもより子どものようで……。
「嫌な気持ちになんてなってない。本当に私のことが好きなんだな、って思って、うれしかった」
「そんなの……レンタルしてるんだから当たり前だろ」
 戸惑いながら言う俺に、彼女は悲しげに笑った。
「そうだね。当たり前なんだ。私、ズルしてた、から……」
 彼女はスマホの画面を俺に向けた。『レンタル・ラブ』――例のアプリだ。
「工藤先輩は、私のためにレンタル彼女のアプリを作ったって言ったけど、実際に見てみたらなぜか『恋心をレンタルする』って書いてあって……先輩なりのはげましなのかな、って思ってたけど、太智くんの様子見て、本当なのかもって思った。だから、太智くんが冷めるのを見るのが怖くて、逃げ出しちゃって……でも、やっぱりレンタルじゃなくて本当に私が好きなんじゃないかって期待して、あの日……カフェでこっそり太智くんの様子見てたの。そうしたら、急にすっと冷めて……本当なんだって……思った……」
「……菜乃花ちゃん」
「先輩は何度も私を……恋を、レンタルしてくれて……うれしかった、です。たとえ河合先輩を忘れるためだとしても」
 菜乃花ちゃんの頬を、一粒の水滴が伝っていく。
「……菜乃花ちゃん……気付いてたんだ」
「私、河合先輩と中学の時生徒会が一緒で……憧れの先輩だったんです。それで、河合先輩と仲良くしてる太智くんのことも目に入るようになって……いつの間にか、好きになってました」
 彼女は涙を指先でぬぐい、笑みを浮かべた。
「私、少しは河合先輩を忘れるための力になれましたか? そうだとしたら、うれし――」
 菜乃花ちゃんが言い終える前に、俺は彼女を抱きしめていた。
「た、太智く……」
「ごめん。気づかなくて……俺、自分が辛いってそればっかりで、菜乃花ちゃんの気持ち全然考えてなかった。俺は菜乃花ちゃんの、彼氏なのに」
「いいんですよ。もうアプリ、消しちゃったんでしょ? だから、彼氏じゃないですから……」
「うん、消しちゃった。だから、今度はレンタルじゃなくて、本物の彼女になってよ」
「……え?」
 菜乃花ちゃんの小さな体が、俺の腕の中でかすかに震えた。
「俺、菜乃花ちゃんが好きだ」
「それは……気のせいです。何度もレンタルするから、感覚がおかしくなっちゃったんです。注意書きにもあったじゃないですか」
「でも、もう一ヶ月も経ってるよ。それなのに全然消えてくれない」
 俺は、さらに彼女を強く抱きしめた。
「それどころか、どんどん大きくなってる。最初にレンタルした時よりも、ずっと」
 戸惑ったように、彼女が俺を抱きしめ返してくる。
 胸の中にじんわりと、愛しさが広がっていく。
「これからももっと、菜乃花ちゃんのこと好きになっていくよ。だから、俺と、付き合ってください」
「太智くん……わ、私でよければ、喜んで!」
 春が近づいてきたけど、まだ肌寒い屋上で、俺たちはお互いの体温を分けあうように抱きしめあっていた。

 ――消したはずのあのアプリは数日後、なぜか俺のスマホに復活していた。
 恐る恐る開くと、使い方の部分には、『このアプリは、モテないあなたのために開発された恋愛疑似体験サービスです。かわいい彼女をレンタルし、恋のドキドキを味わいましょう♡ 現実ではできなくても、このアプリなら最高の体験ができるでしょう』とだけあって、続いていた文章はすっかり消えていた。
 あのアプリは結局なんだったのか、未だにわからない。
 それでも――。
「太智、待った?」
「いや、今来たとこだよ」
 いつもの駅前にて。専門学生になった俺と、受験生になった菜乃花はデートの待ち合わせをしていた。
「じゃ、行こっか」
 菜乃花は自然に俺の手を握ってくる。俺も握り返し、
「うん」
 そう答えて、笑い合ったのだった。

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