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チェイサーゲームWが最終回だった①

いや~
あっという間の2ヵ月間8回のドラマでしたね。なんとなく寝不足で生活リズムが乱れたリアタイ勢、ヲタ勢が多かったんじゃあないでしょうか。

深夜ドラマで各回正味23分ほどの尺で全てを語るのはとても難しかっただろうと想像します。
そして、テレ東さんということでチャレンジングな内容にはしやすくても、予算がなさそう、そして予算がないということは人も足りないということで、とても苦労して制作されたドラマだったということが良くわかりました。まずは、お疲れさまとありがとう!と伝えたい!

レズビアンで恋人がいる、いた、ということが特別じゃなくて普通の人間同士の関係性の前提として設定されているのが本当に良かった。たくさんある人間同士の関係性の中で、主人公がレズビアンであり、、、というのは本当に良かった。多様性が叫ばれる中でも、大手を振ってレズビアンだということをカムアウトしていきていなくて、クローセットで過ごして行く中で、ありのままでいられない息苦しい部分もあったりしつつ、日々が流れていくリアリティがあったように感じました。

その上で、尺がたらねーんだ!!!YO!!!という、ツッコミどころもいくつかあったので、書いていこうと思います。

※長くなったので、飽きるか時間が無くなるまで数回に分けますw


説明不足だった林冬雨の気持ちを考える

多くの当事者(特に若い)人にはとてもキツかったと思う。何がってねえ、冬雨と浩宇のシーンですよ。

「私はレズビアンです」と、言いながらのこれからどうしたいのか?浩宇と月を裏切ったことになる、と責められたあとに「樹と別れたばかりで寂しくてボロボロの時で…。でも、あなたを愛して結婚したのも本当。だからもう一度やり直すチャンスを。」

辛。

初老に手をかけるような年齢となり、色々経験したり見聞きしたりした上だと、「まあ、そういうこともある。」と思えるわけなのですが、それでもつらい。つっら。最終回見直したいけど、このシーンが心に辛すぎて見られないっていう…そんな気持ちです。

さて、このシーン・このセリフですが、いくつかの解釈の余地があると思います。

セクシャリティのゆらぎがあったかもしれない林冬雨

樹はいわゆるオギャレズ(物心ついた時から男は無理ですよ!)と言われていますが、林冬雨はそうではないのではないか解釈です。

愛情はあるものの、いわゆる条件付きの愛というか、厳しい感じの毒親に片足突っ込んだ林冬雨の母から離れて?日本に留学し、掛け値なしに大型犬のように愛を向けてくれた春本樹に出会い、レズビアンというよりも、その辺の認知がもう少し幼くて浅いイメージがあります。樹!大好き!がベース。なので、ビアンだとか同性愛は幸せになれない(世相)、とかその辺はあんまり意識の中に無かったように思います。そして、愛を裏切られたと思った林冬雨。

ボロッボロの状態で母国に引き上げて、もしかしたら、母親のトドメの一言があったのかもしれません。「同性の恋人なんて、しょせん責任を持ってあなたを幸せにしてくれません。男と付き合って裏切ります。」なんてね。

となると、もしかしたら、浩宇はお母さんが見繕った結婚相手なのかもしれません。傷心の林冬雨にあてがうことで、自身が「レズビアンであり、樹が好き」という認識がまだ無く、ぼろぼろに傷つき、悲しみがやがて怒りと復讐心に変わった林冬雨が、夫を得て、子どもを作り、世間体としての幸せを目指してやる、やさしい浩宇への信頼感も愛と認識してもおかしくないかもしれません。

だから、日本に来た時点では「樹への執着が憎しみか、それともまだ好きか」ワカラナイ状態だったのかなと(ミッドナイトガールの歌詞ですね)。その時点では、林冬雨としては「自分はレズビアンだと思っていたけれど、あの関係は一時の気の迷いであり、自分をたぶらかした樹が憎い。私は男とも結婚できたし、子どもも作れたから、レズビアンではない。/レズビアンだということは夫と結婚することで黒歴史として葬り去ることが出来た」ぐらいに考えていてもおかしくない気がする。こうすると、「ビアンを隠すために結婚した」という登場人物の紹介・要約も落とし所になりそう・・・か?

とはいえ、やはり当事者の中には「いやいやいや、レズビアンは男無理なクラスタなんで、旦那とオセッセッセしてる時点で違うし、おまけにやり直すチャンスとか言っちゃうの理解不能なんだけど」という裏切られた悲しみと怒りがわいてくる人が多くなるのは、これもまた当たり前なんですよね…。

ここは本当に尺が足らないし、尺が足らない中で、LGBTQ+(でしたっけ?最近は長い)を主人公に据えたドラマにすることの難しさがあるなあと思います。

誰をどのように好きになって、性的に惹かれるか……というのは、開いていない扉があるのと似ているように感じています。現代の日本では、男が男を、女が女を好きになったっていいじゃん、異常じゃないよ、という世論や考え方がふんわり形成されていますが、わずか20年ほど前までさかのぼるだけで、「いや、自分はおかしいんじゃないか。おかしいんだ。なんだこれ。言えない。否定したい。」という思考になるのが珍しくなかったと思います。

林冬雨は中国の富裕層の子女ということですが、文化圏は同性愛が禁忌とされているらしい状態だったようなので、現実に引き戻された時に樹との愛を、その時の自分を否定したい気持ちや考えが芽生えていても不思議ではないでしょう。

日本に来て樹と再会して、距離を縮めていく中で「そうではなかった。自分は樹をいまだに愛していて、レズビアンだった。」という自認を深めていったのではないかと考えます。

もしかしたら、樹と結ばれ、浩宇とするそれと比べ物にならないほどの充実を感じたのかもしれません。その対比として、もしかしたら最終話のお風呂、お風呂場でのツラい表情があったのかもしれないですね…。嫌だけど。

この時点で、もしかしたら、夫である浩宇とやり直す決心は決めたけれど、やっぱり無理かもしれない…でも、自分が起こした行動で色々な人を巻き込んでしまった責任を取らないと。自分の心を閉ざして贖罪し、責任を取る(=真っ黒な衣装に戻る)。いつか、許されるなら、全てにケリを付けたい。そして、樹と……。と考えたのかもしれないですね。

単純に樹を不倫騒動に巻き込まないためにやった説

こっちのがシンプルな考え方。

愛し合っているにしろ、林冬雨は既婚者です。ここ最近、LINE漫画やらドラマやらのコメント欄を見ていると、すんげー勢いで「でも不倫じゃん!!!」って憤ってる読者がたくさんいます。

自分は、仕事の一つとして占い師なんてものもやってるので、不倫や婚外片思いなんてーのが、日常的にあるというか、日々の暮らしの傍らにパックリと大きな口を開けているのも良く知っているわけですよ。そして、結婚したり、恋人がいるからといって、お互いの心の有り様にまで鎖でがんじがらめに出来やしないんだ、ってことも良くわかっていますので、ドラマや漫画でぐらい好きにさせて、欲望を発散させて上げなさいよお~・・くらいの認識なのですが、どうしても不倫が許せないというクラスタもいます。

それは当然でしょう。不倫に自分の日常を壊された経験がある人、そういう人を見てきた人だっているので、不倫憎し!許せねえ!になるのは当たり前なんですよね。

林冬雨は、このあとのシーンで「樹には迷惑をかけない」と告げているので、夫とやり直すチャンスをもらうことで、樹を夫の怒りや母親の怒りから守る思いがあったのかもしれません。

シンプルな考え方ですね~。

まとめ

どっちが正しいというわけではないし、どちらが合ってるというわけではありませんが、描かれていない部分にこういう葛藤があった…のかもしれません。

どっちにしても、短い尺の中で「物語」としてまとめていくことと、セクシャリティーを一般のみなみなさま方に伝えるように書いていくのはとっても大変なことだと思います。LGBTQ+界隈も皆同じ認識ではないわけですからね……。悲しみや怒りを伝える時は、あまり攻撃的にならない程度に発信してもらえるといいんじゃないかなと思います。それは、他でもない自分たちの市民権のために、ですね。


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