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政治と技術競争とイタリア紀行 (日記)

6月30日

前回からめちゃめちゃあいたけど気を取り直して(特になにかあったわけではないけどさ)日記を書いてみる。

バイデン大統領が年でヤバそうだって話が話題だ。

個人的にはバイデンの方がいいんじゃないかと思うけど、受け答えが危ういとかいうのはなかなか難しいような気もする。

政治家の年齢ってぼちぼち考える時期に来てるんじゃないかと思う。今は都知事選も話題だし、日本の政治家で紙に書いてある文章を読み上げるのも怒って辞めちゃう人がいたけど流石に無理だと思う。

それを言うとトランプも78歳でバイデンと同じようなものだけど、年齢を感じさせない雰囲気はある気がする。しかし年齢を感じさせないとかしっかりしているとか認知能力とか思考能力で政治家として適しているかを判断するのは難しいようにも思える。票が取れれば政治家になれてしまうのだ。

若いと政治家になれないのだから高齢でも政治家になれないというのは一見するとシステム上は普通に感じる。しかしなぜダメなのかを付け加えるのは難しい。思想的に偏向したり、コミュニケーションを取れなくなったり、大量で複雑な問題に対処するのが困難だからだが、それはあまり年齢に関係がないこともある。

高齢だと政治家になれないというアイディアは最適なのかはよくわからないが、政治システムのあらゆる面が発展途上なのは間違いない。そもそも洗練された最適解なるものが政治にあるのかもわからない。そんなもの多分ない。


中国の人形ロボットの記事が視界にシュッと入ってきた。

別のヒューマノイドについての記事もあった。

中国とアメリカで技術競争をしている。
人と変わらないくらい高性能なヒューマノイドを作って働かせるのが一番今の世界に適しているように見えるから、ロボットじゃんじゃん作ったらいいなと思う。

でもなんか、日曜の夜に窓から心地良い風が流れる部屋で酒を飲みながらチルなジャズが流れて1分が1時間にも感じられるような時間を過ごしている時にこんな記事を偶然見てしまうと、人類っていつまでこんな事やっているのだろうって思ったりする。

でもやっぱり中国が月とかを占領して、宇宙の覇権を取って宇宙からコソコソやってきたり、500年後とかに宇宙への移住が必要な時にガチャガチャ言ってきたりするのは嫌だから、アメリカは頑張ってほしいと思ったりする。



『イタリア紀行』を少し読んだ。

ある日の日記にはイタリアを旅行してヴィチェンツァというところでロトンダという建築を鑑賞したとある。
よくわからないけどこういうやつ。

ゲーテはその日、学術研究のための学会に出席する。学会と言っても遊びのようなものらしく、500名ほどの会合で一部の領主と貴族が出席し、他に教養のある一般人が参加していたらしい。
その時、美術において創作と模倣のどちらがより大きな成果を上げたかという話がなされ、多くの人が散文と詩歌を用いて主張をしていた。

そこでゲーテは、多くが創作の偉大さを理解してないということを言いながら、一方で多くの人が演説が上手いと言うことに感心している。

 議長が今日の会議に出した議題は、創作と模倣といずれが美術上、より多くの利益をもたらしたかというのであった。なかなかの妙案である。というのはこの議題の含む二者択一性を取り出せば議論紛々として百年河清を待つに等しいからである。はたして翰林院会員諸氏はこの機会を心ゆくばかり利用し、散文調や詩歌もどきで色々とまくしたてた。中には傑作もだいぶある。
 それに一般会衆がまた元気無類である。ブラボーとどなるやら、拍手をするやら、笑うやら。自分もこんな風に自国の人民のまえに立って、親しく彼らを興じさせることができたらなと思う。がわれわれの流儀は、自己の思想の精髄を印刷して配り、みながこれを待って片隅にうずくまり、力相応にがりがり嚙るのだ。

ドイツってこういう演説というかプレゼンというかスピーチの機会ってあんまりなかったんだっていうのが意外。

あとこの文章だとゲーテはこういう場面が得意でやりたいと思っているけど機会がないのを嘆いているのか、苦手だからできたらいいのにと思っているのかわからない。
あとに続く文章的には、文化的に演説してどうこうしないと言っているから前者とも言えるけど、単純に自分は弁論家ではないという意味にも受け取れる。

そうだとするとそれも意外だなと思う。
ゲーテといったら大変な知識人だったと思うし、人格者だと思うし(めちゃめちゃ不倫してた人間のどこが人格者だよって声は聞こえてくるけどそっとしておく)演説とか得意そうだ。

あと印刷してがりがり嚙る、という方はまんまドイツっぽい。ドイツ観念論みたいに長大で難解な体系をひたすら一人で読んでいくみたいな感じだ。


民衆が湧き上がるドイツって言うとヒトラーって感じがするけど気のせいなのだろうか。そうだとするとやっぱりドイツにはミスマッチだからないのだろうか。


イタリアの美術を観る旅ってやってみたいと少しだけ思う。でも嫌さが勝つけど。というか私は旅行があまり好きではないからそれを楽しむ事は出来ないと思うけどそんな感性がほしい。芸術を楽しむ感性、旅を楽しむ感性、現地の料理を楽しむ感性、現地の美しい景色の見えるホテルで目覚める事を幸福に感じる感性。私にはたぶんどれもない。



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