1,000年単位で考えると見えてくる沖縄の歴史(2)

沖縄の場合、すでに1609年に薩摩に支配されてから、実質的に幕藩体制に組み込まれていましたが、明治になって1879年に沖縄県になり近代日本国家に編入されます。そのことは「琉球処分」と呼ばれて、日本が琉球を侵略したとして批判的に語られています。

確かに、琉球が近代日本国家に組み込まれたことが「支配」「侵略」と言えばそうだと思います。(それについては、面白い論争があるので、後日紹介しますね)

私はこう考えます。

では、薩摩(鹿児島県)と琉球(沖縄県)は何が違うのか?

現在では、一番南の県が沖縄で、2番目が鹿児島です。かつて薩摩藩は琉球を支配しましたが、その薩摩は江戸幕府の幕藩体制の中にありました。

薩摩もかつては「独立」していた。

というか、大和政権下にはありませんでした。

薩摩が大和朝廷の影響を受けるようになったのが、4世紀後半。律令国家に組み入れられたのは薩摩国・大隅国が置かれた8世紀です。

見方をかえれば、

沖縄が日本国に組み込まれるのは、鹿児島より1,000年ちょっと遅かっただけ。

ともいえると思います。

東北の南部は鎌倉時代、北海道は沖縄とほぼ同じ。

そういう風に歴史を見ると、また違ったことが色々見えてきます。こんなこと言うと怒る人もいますが。怒ったら歴史は楽しめません。

一歩引いて考える。

いや、100年、1,000年ひいて考えことが、歴史を考えるひとつの方法だと思うのです。

琉球・沖縄の歴史を考える時は、どうしても、支配された・侵略されたという視点から見がちです。

たしかにそういった視点から見えてくることもたくさんあります。でも、見えなくなってしまうこともある。

沖縄の歴史に興味を持った人の中には、そういった「怒り」みたいなことから入って来た人も多いと思います。

でも、そろそろ、そこからちょっと離れてみませんか?

沖縄問題の専門家として新聞などに登場して「拳を振り上げる」「知識人」にの中には、琉球・沖縄の歴史をあまり勉強していない人が少なくないと私は思っています。

でも、かといって、沖縄が歩んできた苦難の歴史。私たちの先輩たちの苦労や屈辱や努力を忘れていいということではありません。

そんなことを理解するためにも、少し離れてみましょう。ということです。

琉球・沖縄は歴史を楽しむ材料の宝庫です。(宝庫でない国や地域なんてないんですけどね(^_^;))

歴史を楽しむということは、個別の知識を増やすだけでなく、切り口を変えると違った歴史が見えてくることを楽しむということだと私は思っています。

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