怒るべき相手はだれか?ー沖縄に寄り添っているフリする「知識人」との決別
沖縄タイムスで、映画「夜明け前のうた」の紹介記事がありました。(『沖縄タイムス2020年4月14日文化12面,、香山リカ)
「勝手な言い分だが、沖縄の人たちはこの映画を見て、『なぜ沖縄だけにこんな制度が残ったのか。なぜ本土の精神医療関係者は 何もしてくれなかったのか』 と怒 ってほしいと思う。」
ほんとに、勝手すぎる言い分!
と私は思いました。どうして、沖縄の私たちが「怒ってほしい」と言われなければいけないのでしょうか?
前回の記事で書きましたが、私宅監置の問題はとても大きく、私たち沖縄に住んでいる人間は、過去の問題ではなく現在の問題としても考えなければいけません。
家族とは何か?共同体とは何か?
それぞれが、守るべきこととは何か?
もし、その時の当事者であったら、何ができたのか?できなかったのか?
考えることは膨大にあります。勉強しないといけないことも。
しかし、本土の知識人に、あなたたちは完全な被害者なのだから、「怒ってほしい」と言われる筋合いはない。
香山さんは私と同じ年の精神科医。私など足元にもおよばないくらい勉強ができる人。
沖縄のマスコミや大学関係者は、いいかげん、物事の表面だけをとらえて、いち早く「正義の味方」の立ち位置を確保して「沖縄によりそっている」ぐゎーしぃ(フリ)する「知識人」に頼るのをやめてほしい。それこそ、植民地根性だと私は思います。
「その怒りを私も受け止め、今度こそ本当の痛みをして感じ」
これも、むかーしから言われている使い古された言葉、
「今度こそ本当の」。
特に沖縄問題はそうでした。今度こそ、今度こそ。
でも、その「今度」が来たことはありません。
これは、もともと「そんな時は来ない」という前提での台詞。すなわち、じつは、問題が解決してしまったら困るのです。なぜなら、自分の活動の場がなくなるから。
そして、「怒ることで、自分だけは加害者から逃れられる」という行動。
沖縄はの自立は、そういった上から目線の知識人、「正義の味方」から決別するところから始まるのだと思います。
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