「医療従事者を讃える笛のこと」
今日、「#医療従事者の皆さんありがとう」というハッシュタグがTwitterのトレンドに上がっていました。
いくつか拝見して、やっぱり日本は日本の感覚なのかなと個人的には安堵とともに思ったりしました。
というのは、先日医療従事者の方々からInstagramやメールで言葉を聴かせていただいて、丁度このnoteを書こうと思っていたところだったので。
最後にシェアさせていただく医療従事者の方からいただいたメールに出てくる、海外での「医療従事者を讃える笛」や「拍手」にわたし自身かなりの違和感を感じていました。
でも個人的な分析ですが、国民性というよりは国の事情の違いかもしれません。アメリカだけでなく、ヨーロッパも近年アフガニスタンなどの「生きて帰れるかわからない戦地」に兵士を送り出しています。日本での海外派兵は今のところそこまでの最前線ではないので、いい悪いではなく欧米では「出征する人を見送る」ことが身近で、また送られる医療従事者もそれが力になっているように映像では見えます。
国それぞれの事情にはそこまでは考えが行きつかず、数日前にきれいなお庭を見てもらおうとして結果真面目なインスタライブをしました。
酒蔵の店頭に立っている方が、高齢で一昨年大病をして命拾いをした基礎疾患のある方で、
「え、ちょっとなんで接客してるんですか」
と尋ねたら(双方マスクはして距離をとっているものの)、わたしが把握している以上の情報も知っているし、この辺りの対応可能な病床数の少なさも知っている。都会からマスクをしていない観光客の方が来ても接客しているそうで、
「お彼岸みんな外に出ちゃったみたいだね。桜が咲いたなら日本人はしょうがないよ」
と笑っていました。
わたしは危機感を持つのが遅い方だったので深い反省とともに、
「震災の原発事故のあと、自分もそうだったしああいう方たくさんいた。もう自分はいいから若い人さえ無事ならという。気持ちはわかるけど、守れる命なのになんとかならんかな……」
とインスタライブで呟いていたら、医療従事者の方が、
「医療従事者も同じです。諦観という感覚です」
そう声を掛けてくださった。
諦観。悟り、あきらめること。かな。
そうじゃなかったらパニック起きてしまうから、諦観、または恐怖と隣り合わせなのかなと思うと、気を緩めていた時期のことがただ申し訳ないとしか言えませんでした。
「感動とかで消費していいことじゃないし、ありがとうございますではすまないし。なんと言ったらいいのかわからない」
インスタライブを通してお話しして、まともに言葉も出て来ませんでした。
二月にわたしは四月の呑み会を延期にしていますが、それは前回台風で中止にしてお店に迷惑を掛けたからギリギリでまた迷惑を掛けてもと思っただけで、こんなことになるとは全く想像できていませんでした。
ある夜、ラミン・カリルムーさんがInstagramに上げてくれた歌をTwitterでシェアしました。
この日本語訳は日本版を持ってきているので、恐らく英語がわかる医療従事者の方からメールをいただきました。Instagramの方とはまた別の方だそうです。
承諾をいただいたので個人情報に当たる部分は整理して、以下にシェアさせていただきます。
一人の方の声です。医療従事者の方にも様々な声があるとは思いますが、わたしにはとても重く響く言葉でした。
医療従事者の方からの手紙
『私も、私の兄弟もそれぞれで医療機関に勤めています。自粛に強制力がある他の国の情報でも「ただし~を除く」と書かれる職業に、自分は最期まで働くのだな、と思っています。海外の映像で「医療従事者を讃える笛」「出勤する医療従事者を送り出す拍手」それらを見て美しいと思いつつ「そんなことをされても」との思いも持ったりします。私一人なら良い、ただ私がなることで同居の両親が感染したときに私はその笛の音に怒るだろうなどと考えてしまいます。
でも昨夜流していただいた「再び君の歌を聴くまで」は違いました。独り暮らしの兄弟は陽性患者の受け入れが勤務先で決まり、また会えるだろうかと本気で考えたりします。でもあの歌は少しだけ祈りをくれました。ありがとうございました。』
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