私がFoodCampを推す理由①

note始めました投稿から日が開いてしまいました汗

その間に鈴木光一さんにインタビューをしたり(記事をアップして)、仁井田本家さんの木桶を作るプロジェクトの飲み会に参加したり、開成マルシェの新年会に参加したり、僕としては盛りだくさんの日々でした。

さて、これから「私がFoodCampを推す理由」を何回かに分けて書き連ねていくわけですが、これを書くには「私」が誰で、「FoodCamp」とは何か、どんな「理由」なのか、どのように「推す」のかを書いていく必要があります。あぁ大変な作業だ。

というわけでまずは「私」が誰か、から。

私の生まれから書くと、私の両親ははとこ同士でした。私が育ったのは須賀川ですが、父親も母方の祖父母もみーんな旧岩瀬村出身。お互いの家も親戚の家もだいたい数百メートル以内。昔から嫁のやり取りをしてたり、居候してたりと、みんな親戚か顔見知りというとても濃ゆい関係です。割と昔までさかのぼれる混じりっけなし100%岩瀬村産な私です(笑)

それから、私を作っている要素の一つはボーイスカウトです。ボーイスカウトをご存じない方は制服で募金をしているイメージか、ポケモンでバトルをしかけてくるやつ、くらいの認識しかないと思います。ボーイスカウトは地域ごとで独立運営をされていて、それぞれがまっったく違うので一概には言えないのですが、私が所属していた須賀川のボーイスカウトは、商工会議所青年部やロータリーなどと結びつき、町の大人が町の子供を育てる、という文化でした。(もともと須賀川は奥州街道のかなり大きい宿場町で、江戸時代は松尾芭蕉が何日も逗留するくらい商業的にも文化的にも栄えていたようです。) 

中学、高校生の頃は月に1回は近場でキャンプ(冬も)、連休は猪苗代湖を一周歩いてみたり、袋田の滝から須賀川まで歩いてみたり。高校は一応進学校だったので夏休みは夏期講習というのがありましたが、それよりも大事なものがあると先生に言って高2の夏は約2週間キャンプに行ったりもしました。

なんで地元にUターンしたの?と聞かれることがよくありますが、上のように地域の濃ゆいところで生まれ、地域に育てられた自覚がある人間なので、地元に戻ろう、地元で働こうと考えるのは自然でした。

震災後によく同世代やら上の世代と話すと、「子供の時は何もない田舎の福島が嫌いだった。」「濃い人間関係がイヤだった。」「でも離れてみて良さに気づいた。」「震災で失って分かった。」と判を押したように言うのを聞きました。

私は逆で、自分を育ててくれた人達が好きだったしその人達がいる須賀川が好きだったし、離れてみて他の地域も良いと思いました。(特に大学進学が京都だったので、京都も素晴らしかった。)

そんな地元志向でアウトドア好きな自分が孫の手トラベルと山口社長にどう出会ったかは次回に続きます。

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