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心と気と種と花

怒涛の一週間がおわった。

海士町にきて4ヶ月目
お仕事がある日は13時〜22時が出勤。
その生活リズムに慣れるまで、午前中は寝ておわってたけれど、
いつからか今は午前中なにかしらをする余裕ができた。

毎朝出勤前の時間にごろごろだけするのは、
あ〜今日もなんもできなかったってちいさな反省が積み重なっていたけれど1日中布団の上でごろごろしてた今日はなんだかとっても至福

ふと観たくなって「花束みたいな恋をした」をみた。
上映中に観たとき以来、2回目。そのときとはちがう印象だった今回。
映画の不思議
内容は変わってないのに、自分が日々変わっているから、抱く印象が変わる

このあいだアーサー・ビナードさんのポエトリーワークショップに参加した。まだ書きおわってないけれど、そのとき慧が書いた詩。

「お花屋さんになりたい」

この人はこんなことをしたことがあって あの人はあんなことができて
そんなふうに
いろんな人のいろんなお話からいろんなお花の種をすこしずつもらった
その種を花咲かせたくてお花屋さんになりたいと思った

ようちえんのおともだちもお花屋さんになりたいって言っていた
小学校にはいったら みんな夢が変わりはじめた
わたしは変わらずお花屋さんになりたい
中学生になったら 夢の話をしなくなった
それでもわたしはお花屋さんになりたい
高校生になって 先生や親に夢はなんだと聞かれるようになった
みんなわからないといった
わたしはお花屋さんになりたい なのにみんなに言えなかった

ちいさいころは
やりたいと思ったら すぐにやりたいって言って
いってみたいと思ったら いきたいって素直に言えていた

いつからか心は変わってないのに 気が変わった

映画は変わってないのに、感想が変わった。
心は変わってないのに、気が変わった。
このちがいはなんだろう

この詩は高校生までで止まっている

アーサーさんが言ってくれた。
過去のことは書きやすい
ヘミングウェイも今自分がいるところのことをかけない
パリにいるときはキューバのことをかいて
キューバにいるときはパリのことをかいて
キョリがとれたときにかいていたって。

「花束みたいな恋をした」をみた感想が変わったのは
主人公の気持ちを当事者のように感情移入していた何年か前と
好きって気持ちが恋愛と結びつく感覚がわからない今と
自分が変わったから 映画の主人公と今の自分にキョリをとれたから

心は変わってないのに気が変わった

慧がいまきょういくに関わっているのは
大人がつくった社会のレギュレーションに当てはまらなくても
みんなが人間として 生き物として
心にこにこな人生を生きれたら幸せだと思うから

海士町にきて4ヶ月目
海士町の本な大人の雰囲をみて 子どもがいろんなことに踏み込んでいる
ちいさいころと変わらないを感じて心赴くままにいれる
やさしい世界 なつかしい未来ってこのことかな

慧の詩を読んでくれた友だちが言ってくれた
「種は温度と水分量がないと発芽しない、海士町は発芽するのにちょうどいい気なんだね」

今の自分とキョリがちかい 今の海士町の暮らしのことを
ことばにするのに苦戦していたけれど、心にひょっこり芽がでた気分。


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