翔べ君よ大空の彼方へ　　　　　6-⑲ 火を起こせ！

2024年8月7日 12:00

　地下馬道を抜け、本馬場へと姿を現したその瞬間、地鳴りのような大歓声が谺し、大観衆が巻き起こす熱狂の波が彼らを襲った。
　目の前には、厚い雲の隙間からの幾条もの光が美しく射し込んでいた。

　各馬が返し馬を行う為に勢い良く本馬場へと飛び出して行く。実況アナウンサーがエールを贈るかのように、晴れの舞台へ出走するそれぞれの競走馬の名を紹介し始めた。

　しかし、ファイアスターはその場に立ち止まり、その美しい光を眺めていた。
　翔馬もまた、彼を促そうとはしなかった。
　大観衆から湧き上がるどよめき。
微動だにしない人馬に不安を抱いたのであろう。

　しかし、それは取り越し苦労というものである。
　彼はいつものように空を見上げ、周りの風景を見つめ、そして疾走するのであった。
　遠征もまた、彼にとっては勉強•••空気を感じ、景色を感じ、レース前にすべてを頭に入れる賢さが、天賦の才が備わっているのだから。

　1分程経過したであろうか•••やがて彼は自身のルーティンを終え満足したのか
、本馬場へと入り疾走を始めた。
　より一層の大歓声が湧き上がった。
　実況アナウンサーが力を込めて言った。

「さあ、戦いの刻だ！戦場に火を起こせ
！白銀のたてがみと尾を靡かせて、天まで駆け抜けろ！ファイアスター、ここに見参！」と。

〝相変わらず軽い•••〟
　翔馬は笑みを浮かべた。
その異質とも思える手先の軽さは、彼特有のものである。
　四肢の伸びに硬さは全く無く、不良のタフな芝も何のその、愛馬は力感たっぷりに体全体を使い気持ち良さげにターフを駆けていた。

　スタートが近づいている。

　デビューの頃とは違い、皆数戦を使われた競走馬達。それぞれに気性面の進化が窺われ、それ程の大きな混乱も無く輪乗りを終え、やがてスターターが合図を送り、壮大なG1ファンファーレの演奏が始まった。
　瞬時、観客もオーケストラの演奏と一体化し、晴れの舞台で戦う戦士達もまた悟り、高揚する闘志を内に秘める者、また表に表す者•••それぞれが続々とゲートへと導かれるのであった。

　奇数番からスムーズにゲート入りが行われ、大外枠ファイアスターが最後にゲートへと導かれ、一拍後、冬の寒気を切り裂く金属音が競馬場に響き渡った。

「スタートしました！各馬揃ったスタート！さあ先行争い！内から白い帽子、ジャパンプライド行くか？馬場の真ん中からワンダーオピニオンも鞍上押して押して先手を主張するが、やはり行った！新潟2歳ステークス、デイリー杯2歳ステークス共に逃げて圧勝のジャパンプライド果敢に先手を奪った。次いでワンダーオピニオン、コマンドキッド今日は先行策か？
ヨアケワチカイ、ロンリーウルフも前団を狙う！内からクレイジーロード、並んでフードファイター、そしてハリケーンボルトおお〜っと今日は早めに行った！札幌2歳ステークス、京都2歳ステークスを強烈な末脚で圧勝したバーズオブコンドル、今日は中段からか？鞍上河田ユウ、先日のグランプリに続いてのG1連勝を狙う秘策か⁉︎そして、ワイルドライオンが追走、先頭はジャパンプライド気合をつけて2馬身のリードを取り最初のコーナーに入った！

　ワイルドライオンの後ろ、内からバッハノオンガク並んでフォーナインズ、その後ろブラックライオン、外を通ってイエローサブマリン、そしてここにいました！日本中の競馬ファンが、いや、世界が注目するファイアスター、今日も後方一気の末脚を披露するのか？前走の、あの究極の鬼脚をこの不良馬場で炸裂させるのか？そして最後方にブーメランフック。これで全馬16頭。2歳王者を決めるこの戦いは非常にタフなコンディションとなった！来春のクラシックの最前線に踊り出るのはどの馬だ！

　さあ先頭早くも第2コーナーに入った！
ジャパンプライドリードを3馬身に広げた
！朝日杯ではなく、堂々この1戦に勝負を掛けてきたジャパンプライドが軽快に逃げ脚を伸ばす！単独2番手、ワンダーオピニオン、コマンドキッドが追走、直後にロンリーウルフ、ヨアケハチカイ、クレイジーロード1発2発ステッキが入った！フードファイター続いてハリケーンボルトやや掛かり気味か？外目を上っていった
！そして中段キープのバーズオブコンドル馬群の外目でしっかりと折り合っているぞ！その背をマークするワイルドライオン、バッハノオンガク、フォーナインズが併走、内にブラックライオン、外ブーメランフック、イエローサブマリンが下がっていった。そして、ファイアスターがシンガリ。
　手応えはどうだ？大空翔馬いつそのエンジンを点火させるのか？ファイアスター、またしてもあの驚愕の末脚を披露するのか？前半1000メートル通過1分5秒5のスローでジャパンプライドがレースを
おお〜っと⁉︎ファイアスター動いたぞ⁉︎
ここで一気に動いた！ファイアスター雄大なストライドで馬場の外目を一気に•••」

〝競馬は、生き物だからな。展開はいつも変化し続けるぞ！その兆候を見逃さないように！〟

　今は天国で見守ってくれている師からの教えを、国内外数え切れない程の騎乗で体に刻み込ませた翔馬は、極悪の不良馬場とは言え明らかなるスローペースを見越して、愛馬の能力を信じ〝前へ！〟と合図を送った。

　指示を受け取ったファイアスターのギアが一段階上がった。
　一頭二頭、続々と他馬をパスし、翔馬は愛馬を中段のバーズオブコンドルの真横にピタリと付け、前を走るクレイジーロード、フードファイター、ヨアケハチカイの3頭を壁にして折り合いをつけた
。

　なるべくなら外を回したい翔馬であった。