私にとっての3・11

2011年3月11日、東日本大震災が発生。
正確には東北地方太平洋沖地震と、これに伴う福島第一原子力発電所事故の両方の複合災害でした。
2018年9月時点での死者・行方不明者は1万8千人を超えると言われています。
私はその当時は神戸の職場におり、今でも忘れることはありません。

被災し亡くなられた方々のご冥福を今でもお祈り申し上げます。

遠く兵庫県におり親近者の被害もなかった私ですが、この災害がいつまでも心に残り今でも思い出す理由があります。

それは私の仕事と大いに関係が深い出来事でした。

大衆演劇の劇団、橘菊太郎劇団の橘大五郎さんの座長襲名を行う予定の月だったからです。
橘大五郎さんと言えば大衆演劇に馴染みのない方でも、北野武さんの映画「座頭市」の「おせい」という、仇を追って姉と一緒に女に扮して旅をしていたキャラクターを演じられていた方といえば思い出す方もいるかと思います。
その方が、いよいよ劇団の看板として座長を継ぐという一世一代のイベントが控えておりました。

地震が起きたまさにその時、職場にいた私も小さな揺れを感じ「地震か!?」とすぐ舞台を確認し、吊っている機材が揺れているのを見て焦ったのを鮮明に思い出します。
そこからは次々と入ってくる様々な情報に困惑しながら、被害が無いので通常通りの公演をしておりました。
直接被害が無いのは幸いでしたが劇団さんにとってはそうはいきません。
関東近辺などで公演していた親しい他劇団が被災されていたり、全国を飛び回る人気劇団には被災地域のファンの方も多くいたはずです。

大五郎座長を知っておられる方は、彼の人柄もよく存じていると思います。
心根優しく爽やかで、芸に対して真摯に向き合い、驕らず向上心を持ち続ける素晴らしい役者さんだと。
そんな彼だからこそ、「こんな時に何が出来るか?」「国を揺るがす大事に際し、襲名披露という祝祭をあげても良いものなのか?」
深く心を痛め、様々な葛藤があったことは想像に難くありません。

それでも襲名披露を開催するに至ったのは、支えてくれるファンの方や世話になんている諸先輩方からの言葉が決め手になったそうです。
こんな時だからこそ、応援してくれる方々に喜んでもらえるようにと。

そうして開催されたイベントは大盛況のうちに幕を閉じ、今年は座長襲名8周年を迎えます。
末広がりの年ということもあり、今月は8周年記念公演も予定されています。
座長として歩み積み重ねた8年を存分にぶつけ発揮する舞台になることは間違いないでしょう。
それに関わる、裏方としての8年を過ごしてきた私が、もっと長い年数を芸に捧げてきた座長と肩を並べられるとは到底思っていません。
ですが襲名の瞬間から毎年関わらせていただいた身としては、やはり思い入れは感じます。
今まで何人かの役者さんの、そういった節目に立ち会う事もありましたし、その方たち皆に対しても感慨深いものがあります。
大五郎座長は特に、大きな災害と同じ時期だったこともあり強く印象に残っています。

彼の歩んできた8年に見合う私では無いでしょうが、そのイベントに関わるからにはその日の舞台が円滑に、滞りなく、安全に進行するよう尽力し、且つお客さんの喝采をもって成功したと実感出来るように、仲間と力を合わせていかなければと思います。

再度、当時被害に遭われた方のご冥福をお祈りするとともに、イベントの成功へ向けて意識を向けていきます。


もしして下さるなら涙流して感謝します!